深谷城(ふかやじょう)
~かつて障子堀も存在した深谷上杉氏の居城~
Parameters of
this castle
深谷城は関東管領山内上杉氏の一族である深谷上杉氏の5代目である上杉房憲によって築城された平城です。堀や土塁で各曲輪を区切り、さらに周囲の唐沢川、福川などに囲まれた低湿地を利用して防備を固めていました。
当初は敵対する古河公方に対抗するための城でしたが、後北条氏が台頭してくると、北条氏康による侵攻を受けます。
山内上杉氏と共に後北条氏に抵抗していましたが、山内上杉氏の居城上州平井城が陥落すると後北条氏の攻勢が強まり、その軍門に降ることになりました。しかし越後に落ち延びた山内上杉氏の要請を受けた上杉謙信が越山して関東に攻め寄せると、後北条氏に降ったことを咎められ城下を焼かれてしまいます。
上杉謙信が越後に去った後は再び後北条氏に属し、豊臣秀吉の関東征伐の際には当主上杉氏憲も小田原城に籠城しました。
関東征伐によって後北条氏が滅亡すると、関東には徳川家康が入封し、深谷城には松平康直という人物が城主として任命されました。
その後譜代大名の酒井忠勝が城主を務める寛永4年(1627)に忠勝が武蔵国川越へ移封となると深谷藩は廃藩となり、深谷城も廃城となりました。
現在は城址公園として市民の憩いの場となっており、遺構の大半は埋没しています。
発掘調査では堀、土塁、井戸、建物跡などが見つかっており、さらに越中曲輪という場所からは後北条氏の山中城などで有名な障子堀も見つかっており、技巧に富んだ城であったことをうかがい知ることができます。
基本情報
城名(別名) | 深谷城(木瓜城) |
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築城主 | 上杉房憲 |
築城年 | 康正2年(1456) |
カテゴリー | 江戸時代 安土桃山時代 平城 |
関連項目 | 石垣 |
遺構 | 外堀 石垣(模擬) 土塀(模擬) |
住所(所在地) | 埼玉県深谷市本住町17 |
指定文化財 | 埼玉県指定旧跡 |
構造物 | 外堀、石垣、土塀、石碑 |
問い合わせ先 | 深谷市 文化振興課 |
電話番号 | 048-577-4501 |
縄張図・鳥観図
現地案内板より
周りを低湿地に囲われていることがわかります。
ポイント
- 主な遺構 :
- 外堀
- 石垣(模擬)
- 土塀(模擬)
- 外堀
- 深谷城で唯一遺構と呼べる堀です。
富士浅間神社(智形神社)の社殿を巡る水路と池として残存しています。
- 石垣(模擬)
- 立派な石垣ですが、深谷城は土の城であったことが発掘調査からわかっており、当時からある遺構ではありません。
- 土塀(模擬)
- こちらも模擬石垣を作る際に併せて作られたと思われる模擬土塀です。
城の雰囲気はよく出ています。
アクセス
公共交通機関
JR高崎線・深谷駅から徒歩13分
自家用車
関越自動車道・花園ICから20分
深谷市民文化会館 駐車場を使用
参考文献・サイト