米子城よなごじょう

~海を臨む山陰随一の名城~

Shironav Master

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this castle

米子市の中心地、標高90メートルの飯山、湊山に築かれた米子城は、当初は砦のような規模でしたが、戦国末期から江戸時代にかけて吉川広家や中村一忠といった名だたる大名による改修を受け、山陰地方で他に先駆けて築かれた本格的な近世城郭となりました。
江戸時代には吉川広家によって築かれた4重櫓(小天守)と中村一忠が築いた4重天守(大天守)が存在し、双頭の天守の城でしたが、明治維新によって米子城が払い下げられると、当時の建造物は全て解体され失われてしまいました。しかし石垣や礎石などは城郭の形態をよくとどめており、石垣好きにはたまらないお城になっています。
秀峰大山を初め、中海、日本海、市街地などを360度一望できる天守まで15分で登ることができる手軽さも魅力です。

【目次】
基本情報
縄張図・鳥観図
ポイント
アクセス
参考文献・サイト

基本情報

城名(別名)米子城(久米城、湊山金城)
築城主山名氏と伝わる
築城年室町時代中期~後期
カテゴリー室町時代 江戸時代 安土桃山時代 海城 平山城 
関連項目石垣 眺望抜群 
遺構石垣 天守台 登り石垣 お菓子の壽城  
住所(所在地)鳥取県米子市久米町
指定文化財国の史跡
構造物石垣、曲輪、桝形虎口、竪堀
問い合わせ先米子市役所 文化振興課
電話番号0859-23-5436

縄張図・鳥観図

パンフレットより
麓の曲輪は平時に使用していたと思われ、かなりの広さです。
山頂部の本丸近辺は石垣を多用した鉄壁の防御施設となっています。

ポイント

主な遺構 :
石垣
天守台
登り石垣
お菓子の壽城
石垣
場所によって積まれた時期の違いがあり、積み方の違いを見つけるのも楽しいです。
天守台
天守閣は残っていませんが、大量の石を使って築かれた天守台は迫力満点!
天守台の上からは米子市街地や日本海を望む絶景を見ることができます。
登り石垣
文禄・慶長の役において、大名たちの侵攻の拠点として朝鮮半島に倭城が築かれ、その多くは日本からの補給口となる船着場を確保するため、海岸や河川に近いところであった。本丸と天守は見晴らしが良く防備の要となる小高い丘や山の上にあったが、兵の居住建物等は補給口に近い平地にあったので、その間の侵入を防ぐため、本丸と港を取り囲むように山腹の両側に日本式の石垣を築造した。これを登り石垣という。
登り石垣-Wikipediaより引用~
発掘調査の結果、海に面した米子城でも内膳丸と湊山山頂部の本丸遠見櫓を結ぶ尾根の上に登り石垣が築かれていたことが判明しました。
文禄・慶長の役に参加した吉川広家が倭城に用いられた最新技術を取り込んだものと推測されています。
お菓子の壽城
遺構ではありませんが、米子城から車で20分ほど移動すると米子城の天守閣をモデルに作られたお菓子の壽城というモノがあります。
実際に天守閣に登ることもでき、天守からの眺望を楽しむことができます。
またショップでは当地の名産お菓子を買い求めることができます。

アクセス

公共交通機関

JR山陰本線・米子駅より徒歩20分

JR山陰本線・米子駅から「だんだんバス」に乗り「湊山公園」バス停下車、徒歩5分

自家用車

・JR米子駅より車で5分
・米子自動車道・米子IC から国道9号線経由で約20分

駐車場:湊山公園駐車場(無料)

参考文献・サイト

書籍
各種パンフレット
サイト
国史跡米子城跡/米子市ホームページ
米子城の歴史
米子城跡|米子観光ナビ[米子市観光協会]

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