青柳城(あおやぎじょう)
~布目積み石垣は必見!要衝を抑える境目の城~
Parameters of
this castle
青柳城は旧善光寺道青柳宿(筑北村青柳)の東方、四阿屋山(あづまやさん)支脈の尾根上に築かれた青柳氏の本城跡です。
北と南の両勢力の境目にあたり、川中島の戦いのころには武田対上杉、のちには小笠原対上杉の各軍が攻防戦を行うなど、数多くの戦の舞台となりました。
現在は青柳城址公園として整備され模擬櫓門などが復元されています。
また遺構も良好な状態で残っており、二重堀切や小笠原氏時代の布目積み石垣など見どころが豊富です。
基本情報
城名(別名) | 青柳城 |
---|---|
築城主 | 青柳氏 |
築城年 | 不明 |
カテゴリー | 山城 |
関連項目 | 石垣 二重堀切 眺望抜群 |
遺構 | 石垣 二重堀切 曲輪(本丸) |
住所(所在地) | 長野県東筑摩郡筑北村坂北 |
指定文化財 | 長野県指定史跡 |
構造物 | 模擬櫓門、冠木門 |
問い合わせ先 | 筑北村役場 |
電話番号 | 0263671161 |
縄張図・鳥観図
山の尾根に沿って曲輪を配置し土塁、堀切によって区切る典型的な山城の姿です。
図面の出典は余湖くんのホームページ様です。
ポイント
- 主な遺構 :
- 石垣
- 二重堀切
- 曲輪(本丸)
- 石垣
- 平たい石を横置きにして積み上げた布目積み(布積み)の石垣で本丸の北側に築かれています。こちらの石垣は小笠原貞慶の支配下に置かれていた時代のものと言われています。
なぜ本丸の北側のみに石垣が配されているのかなど不明な点もあります。
- 二重堀切
- 城域への侵入を拒む巨大な堀切が連なって配置されています。
これだけの規模の堀切を作るには大規模な土木作業が必要になるため青柳氏単体で作れたとは思えず、武田氏や上杉氏の支配下にある時に掘られたと考えられます。
- 曲輪(本丸)
- こちらでは復元された冠木門を見ることができます。
冠木門を突破しても土塁や虎口が行く手を阻みますが、それらも突破すると本丸に到達できます。
本丸からは北アルプスの雄大な山並みや善行寺街道を一望することができ、青柳城が要地に立地していることを再確認できます。
歴史的背景
青柳氏に関して
青柳城は天文年間に武田信玄が松本平に進出すると前線拠点として改修を受け、時の城主青柳清長も武田氏に臣従して麻績(おみ)から大岡までを領することとなります。
天文22(1553)年の第一次川中島合戦の際には上杉謙信の軍勢に放火されるなど、甲越紛争の主戦場となります。
武田氏滅亡後、青柳氏は上杉景勝に従属し、徳川家康の支援を受けて旧領回復を狙う小笠原貞慶との間で攻防を繰り広げます。その後小笠原氏の支配下に置かれた青柳氏ですが、1587年に主君である小笠原貞慶に疑われ、当主である頼長は深志城に呼び出され誅殺されてしまいます。
主を失った青柳城は小笠原家に接収された後、江戸時代を迎える前に廃城になったようです。
頼長の息子である青柳清庵はのちに真田家臣となり、「大坂の陣」で真田幸村とともに討ち死にしたとされています。
アクセス
長野自動車道「麻績」ICより車で20分で青柳城址公園に到着(駐車場あり)
公園の入口は野生鳥獣対策のためのゲートがありますので、ゲートの閉め忘れの無いようお入りください。
駐車場から石垣のある本丸までは徒歩10分ほどでたどり着けます。
公共交通機関を使う場合はJR篠ノ井線「坂北」駅より登山口(青柳館)まで徒歩約20分、その後登山する必要があります。
参考文献・サイト