長峰城ながみねじょう

~未完成のまま廃城となるも巨大な空堀や土塁が残る~

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長峰城跡は、江戸時代初めの元和2年(1616年)に、群馬県大胡城2万石から5万石に加増になり移封してきた譜代大名牧野忠成公が築いた平山城です。
2年後の元和4年(1618年)には忠成公は長岡城へ移封になり、長峰城は廃城になりました。
長峰城の魅力・見どころは、①大規模な空堀や土塁、やぐら台などの存在②版築構造が分かる土塁断面の露出(南土塁)③忠成公花押文章・家臣発給文章の複数存在④長峰池(外堀)と一体となった良好な景観です。
これらのことから、400年を経た今でも、5万石に増えた領地経営と城づくり・城下町づくりに全力をあげていた往時をしのぶことができます。
近くには長峰温泉ゆったりの郷や酒蔵よしかわ杜氏の郷などもあり、入浴・食事、お土産購入に最適です。
なお、団体見学の際にはガイドもあります(約1時間、要予約)。
長峰城跡 | 【公式】上越観光Navi - 歴史と自然に出会うまちより引用

【目次】
基本情報
縄張図・鳥観図
ポイント
歴史的背景
アクセス
参考文献・サイト

基本情報

城名(別名)長峰城
築城主牧野忠成
築城年元和2(1616)年
カテゴリー江戸時代 平山城 
関連項目牧野忠成 土塁 空堀 
遺構西土塁と空堀 東空堀と土塁 南西櫓台 北虎口 南土塁と空堀 
住所(所在地)新潟県上越市吉川区長峰1952-1
指定文化財上越市「地域の宝」
構造物土塁、空堀、櫓台、曲輪、犬走り
問い合わせ先越後長峰城址保存会事務局
電話番号025-548-3181

縄張図・鳥観図

現地案内板より
周囲を深い堀と高い土塁で囲われていたようです。
また、長峰池に面しているため船着き場もあったようです。

ポイント

主な遺構 :
西土塁と空堀
東空堀と土塁
南西櫓台
北虎口
南土塁と空堀
西土塁と空堀
駐車場から長峰城を眺めるとまず西土塁が目に入ります。
西土塁の長さは約100m、空堀底面からの高さは約12~14mもあります。
草に覆われていてわかりませんが、土塁の半ばには犬走りも付けられています。
東空堀と土塁
東空堀は長さ約110mで土塁上部からの深さは約14mを誇ります。
空堀が深く険しいため『城の沢』とも呼ばれていたようです。
木などがあり少し見づらいですが、かなりの大規模さであることがわかります。
南西櫓台
長峰城に3か所ある隅櫓の1つで、標高が35mあります。
火の見やぐらとも呼ばれ、長峰城のシンボルとして親しまれていたようです。
北虎口
この虎口は長峰城の裏門(搦め手)にあたるもので、左右の土塁によって小規模な桝形が構成されています。
南土塁と空堀
南土塁は土取りのために断面があらわになっている部分があり、版築構造を知る上で貴重な資料となっています。
南空堀は深さ10m、幅25~35m、長さ140mの大型空堀でしたが、こちらも土取りのため改変されてしまったようです。

歴史的背景

長峰城は、上野国(群馬県)大胡城主であった、牧野忠成が元和2(1616年)に築いたお城です。
 城の北側に周囲2.6キロメートル、面積約22ヘクタールに及ぶ長峰池、南側に犀ヶ池(現在は開拓され水田)の天然の外堀を構え、東側を深い谷内に囲まれた標高約35メートルの丘陵上に位置する平山城です。

 牧野忠成は元和元年(1615年)の大坂夏の陣で功績が認められ、2万石から5万石に増封となり、長峰城主となりました。しかし、2年後の元和4年(1618年)、忠成は長岡城6万2千石に移封となり、長峰城は廃城となりました。以後、牧野家は明治維新までの250年間、長岡城主を務めました。

 長峰城址には今も大規模な土塁や、版築状況が良くわかる南土塁、やぐら台などの遺構が残されています。

長峰城址-上越市ホームページより引用

越後長峰城址保存会では、長峰城の御城印を頒布しています。
頒布場所:長峰温泉ゆったりの郷 売店(上越市吉川区長峰100)

アクセス

公共交通機関
・電車:JR・信越本線「上下浜駅」から徒歩30分
・路線バス:頸北観光バス「長峰温泉」下車徒歩15分

自家用車
北陸自動車道「柿崎IC」から10分
無料駐車場あり
長峰池繁船広場に100台駐車可能

参考文献・サイト

サイト
長峰城跡 | 【公式】上越観光Navi - 歴史と自然に出会うまち
長峰城址-上越市ホームページ
長峰城(新潟県上越市吉川区長峰1952-1 他)2021-9-19 ほむほむの足軽気分で攻めてみた
越後 長峰城-城郭放浪記

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