杉山城(すぎやまじょう)
~戦国期城郭の最高傑作と言われる土の城~
Parameters of
this castle
杉山城跡は、戦国時代の山城跡です。
鎌倉街道を見下ろす丘陵の尾根上に10の郭を配置した縄張り(城の建物などの配置)となっています。各郭には様々な工夫が凝らされており、攻めてくる敵兵に対して、強い防御力と攻撃力を誇っています。その作りには高度な築城技術が施されていて、「築城の教科書」「戦国期城郭の最高傑作のひとつ」という評価がされてきました。
戦国時代の山城は、土塁と空堀(からぼり)とで仕切られた郭を山の高低差を利用しながらたくみに配置して、小人数で立てこもり、多数の敵を迎えうつためのまさに実戦に備えた要塞です。杉山城は本郭を中心として北・東・南の三方向にそれぞれ二の郭、三の郭を梯段(はしごだん)状に連ね、さらに大手口に面しては外郭(そとぐるわ)と馬出郭(うまだしぐるわ)、井戸に面しては上方からこれを防禦する井戸郭が配置されています。また帯郭や空堀は複雑に入り組んでおり、敵にとっては混乱する迷路であっても、城方にとっては敵の目をかすめて郭間の連絡をとる通路としても機能していたことがわかります。
~杉山城跡公式ホームページ~より引用
「戦国期城郭の最高傑作のひとつ」と呼び声が高いのも納得の土の城です。
徹底して攻め手の侵入を拒もうとする仕掛けが随所に見られ、築城者の几帳面さまで見えてくるほどです。
基本情報
城名(別名) | 杉山城 |
---|---|
築城主 | 山内上杉氏 |
築城年 | 不明 |
カテゴリー | 室町時代 安土桃山時代 平山城 |
関連項目 | 食い違い虎口 横矢掛 切岸 土塁 |
遺構 | 屏風折 空堀 食い違い虎口 井戸跡 横矢掛 |
住所(所在地) | 埼玉県比企郡嵐山町杉山614 |
指定文化財 | 国指定史跡 |
構造物 | 虎口、曲輪、空堀、切岸、土塁、井戸跡 |
問い合わせ先 | 埼玉県比企郡嵐山町教育委員会事務局 |
電話番号 | 0493620824 |
ポイント
- 主な遺構 :
- 屏風折
- 空堀
- 食い違い虎口
- 井戸跡
- 横矢掛
- 屏風折
- 堀と土塁をうねうねさせて折れを作り出し、堀の中を進む攻め手に対して横矢掛しやすくなっています。
- 空堀
- 空堀の数はかなりのもので、土木量の多さを伺わせます。
- 食い違い虎口
- 攻め手をクランクさせて勢いを削ぐ虎口が非常に良く残っています。
- 井戸跡
- なんと現在でもわずかながら水が染み出しており、少し水が溜まっていました。
- 横矢掛
- 特に本郭北虎口が顕著ですが、高所からの横矢掛が随所で徹底されており、防御意識の高さがうかがえます
歴史的背景
戦国時代の初めころ、関東では関東管領山内上杉氏と同族の扇谷上杉氏による抗争がありました。「長享の乱」と呼ばれる一連の戦いのなかで、当時の嵐山町は、山内上杉氏の拠点である「鉢形城(寄居町)」と扇谷上杉氏の拠点である「河越城(川越市)」の中間にあり、長享2年(1488)には須賀谷原(嵐山町)で多くの戦死者を出す激しい戦闘がありました。杉山城跡から出土した遺跡の年代は、この戦いの少し後にあたります。そのことから杉山城は山内上杉氏が扇谷上杉氏に対抗して築城したものと考えられます。
杉山城はこれまで高度な築城技術から「後北条氏の城」と して広く認識されていましたが、学術的な裏づけはありませんでした。そこで嵐山町では平成14年度から18年度にかけて5回の学術発掘調査を実施しました。その結果、城跡の年代が15世紀末から16世紀前半であり、後北条氏の時代ではなく、それ以前の関東覇権をめぐる山内・扇谷両上杉氏と古河公方による三つ巴の抗争が繰り広げられていたなかで、山内上杉氏によって造られた城であったことがわかりました。こうした学術的な成果により、杉山城跡が高度な築城技術の特徴をもち、良好な保存状態で当時の政治・軍事の様相を良く示していることが高く評価され、「比企城館跡群」のひとつとして平成20年に国史跡に指定されました。
~杉山城跡公式ホームページ~より引用
アクセス
電車
東武東上線・武蔵嵐山駅から 約2.9km (徒歩で約40分)
バス
東武東上線・小川町駅発 小川パークヒル線「小川パークヒル」から約1.5km (徒歩で約20分)
自家用車
関越自動車道・嵐山小川ICから 約2.6km (約5分)
(玉ノ岡中学校北側駐車場を利用可能)
参考文献・サイト
- 書籍
- 杉山城跡パンフレット
- サイト
- 杉山城跡公式ホームページ
国指定史跡 杉山城跡 | 嵐山町(らんざんまち)ホームページ