菅谷館すがややかた

~畠山重忠の館に起源もつといわれる土の城~

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菅谷館跡は、埼玉県のほぼ中央、比企郡嵐山町にあり、約13万平方メートル(東京ドーム約3個分)に及ぶ広大な面積を持つ複郭式の平城です。館跡のある台地の南側は、都幾川の流れにより浸食されて切り立った崖となり、東側と西側には、台地に直行する谷が幾筋も形成されており、館跡は、これらの地形を巧みに利用して、複雑な縄張りを構成しています。
平安時代末期から鎌倉時代にかけては源頼朝の御家人として源平合戦で数多の武功を立て、”坂東武士の鑑”と称された畠山重忠が居住していたと伝わります。
その後の歴史はよくわかっていませんが、室町時代の中期以降、山内上杉氏と扇谷上杉氏が争う長享の乱が勃発すると山内上杉方の太田氏が菅谷館を城郭として整備したようです。戦国時代には相模の後北条氏が進出し、近くの松山城を強化するため菅谷館も増改築され、現在残る土塁や空堀が形成されたと考えられています。
後北条氏滅亡後に廃城となったようです。

現在では松山城、杉山城、小倉城と共に「比企城館跡群」として国の史跡に指定され整備されています。
また日本城郭協会の定める続日本100名城にも選定されています。

【目次】
基本情報
縄張図・鳥観図
ポイント
アクセス
参考文献・サイト

基本情報

城名(別名)菅谷館
築城主不明
築城年平安時代末期?
カテゴリー鎌倉時代 室町時代 安土桃山時代 平城 
関連項目出枡形土塁 畠山重忠 続日本100名城 
遺構出枡形土塁 蔀土塁 空堀 木橋(復元) 曲輪(三の曲輪) 
住所(所在地)埼玉県比企郡嵐山町大字菅谷
指定文化財国の史跡
構造物土塁、曲輪、空堀、畠山重忠像、木橋、門跡
問い合わせ先埼玉県立嵐山史跡の博物館
電話番号0493-62-5896

縄張図・鳥観図

現地案内板より
複数の曲輪とそれを守る土塁や空堀が存在するという典型的な戦国期の土の城です。
平城ということもあり城域はかなり広大です

ポイント

主な遺構 :
出枡形土塁
蔀土塁
空堀
木橋(復元)
曲輪(三の曲輪)
出枡形土塁
菅谷館の特徴として出枡形土塁が上げられます。
これは本丸を取り巻く土塁の一部を突出させることで本丸を目指す攻め手に横矢を射かけるためのものだと考えられています。
蔀土塁
蔀土塁とは目隠しのための土塁を意味し、山梨県にある新府城にも本丸の様子を見えないようにする蔀の構という似たような機能を持つものがあります。
この蔀土塁は西の曲輪と三の曲輪を繋ぐ正坫門に設置されており、三の曲輪の様子を攻め手に見られないようにするものであったと考えられています。
空堀
曲輪と曲輪の間に配置されており、場所によってはかなりの深さがあります。
木橋(復元)
西の曲輪と三の曲輪の間の空堀に架けられた橋で、発掘調査の結果を基に復元されました。
防衛のため外側(西の曲輪側)から内側(三の曲輪側)に向かって上り坂となっており、高低差は1m程あるとのことです。
曲輪(三の曲輪)
三の曲輪からは発掘調査の結果、建物の柱穴が見つかり、それを基に柱に見立てた杭が打ち込まれています。
建物跡の近くには井戸跡もあります。

アクセス

公共交通機関
東武東上線武蔵嵐山駅下車 徒歩約15分

自家用車
関越自動車道 東松山I.Cより国道254号線を小川方面に約10分
関越自動車道 嵐山・小川I.Cより国道254号線を東松山方面に10分
無料駐車場あり

参考文献・サイト

書籍
パンフレット:比企城館跡群-菅谷館跡 見て歩きガイドマップ
サイト
菅谷館跡/埼玉県立嵐山史跡の博物館
菅谷館跡/一般社団法人嵐山町観光協会

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