小倉城おぐらじょう

~緑泥石片岩を利用した珍しい石垣~

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小倉城跡(おぐらじょうあと)にかかわる同時代の確実な文書は発見されていないが、江戸時代の『新編武蔵風土記稿』では、戦国時代の関東に覇を唱えた小田原北条氏の重臣遠山氏を城主として伝えています。 
また、『武蔵志』では遠山氏、或いは上田氏とも伝えています。
小倉城は、攻守一体で様々な工夫が凝らされた削平地をつらねた戦国時代の山城で、通称城山と呼ばれる山の山頂から中腹にかかえて所在している。
小倉城は、外秩父の山地帯と関東平野の境界にあり、大きく蛇行を繰り返す槻川と山地の自然地形を巧みに取り込んだ天然の要害にあります。
城の位置取りは、槻川―都幾川―古荒川水系を基幹に陸路は鎌倉街道上道と山辺の道(八王子城―鉢形城を結び上州へ抜けるルート)の中間で双方へアクセス可能な位置にあり中世の水陸交通を強く意識したものとなっています。
国指定史跡 小倉城跡 - 埼玉県ときがわ町~より引用

【目次】
基本情報
縄張図・鳥観図
ポイント
アクセス
参考文献・サイト

基本情報

城名(別名)小倉城
築城主不明
築城年不明
カテゴリー安土桃山時代 山城 
関連項目竪堀 堀切 石垣 
遺構石垣 堀切 桝形虎口 本郭北虎口 土塁 
住所(所在地)埼玉県比企郡ときがわ町田黒608
指定文化財国指定史跡
構造物石垣、曲輪、堀切、桝形虎口、竪堀、土塁
問い合わせ先ときがわ町教育委員会 生涯学習課
電話番号0493-65-2656

縄張図・鳥観図

現地案内板より
石垣は郭3の周囲を囲うように配置されており、これは城の正面と考えられている大福寺方面に突き出していることからも、石垣の威容による威圧の視覚効果を考えたものとされています。
郭と郭の間は深い堀切や岩盤をくり抜いた堀切によって移動の自由を制限しています。

ポイント

主な遺構 :
石垣
堀切
桝形虎口
本郭北虎口
土塁
石垣
この史跡の最大の特徴が、全国的にも珍しい石積み遺構です。平成11年から18年まで実施された調査で、まず郭3をコの字型にかこむ最大高約5m、総延長120mあまりの大規模な石積普請が発見されました。また、現在は埋め戻されていますが、郭1の東虎口から南虎口を結ぶ土塁内側には三段の雛壇状に構築した石積みが確認されました。その他に、郭1の東腰郭に高さ3.5mの石積みが普請されています。
国指定史跡 小倉城跡 - 埼玉県ときがわ町~より引用
一部石垣遺構保護のため、郭3付近は通行止めになっている部分もあります。
堀切
郭3と本郭の間にはもともとあった岩盤を幅5m、高さ3mで繰りぬいて切通にした堀切があります。
また、郭2と郭4の間には小倉城最大の堀切があります。この大堀切は両端が竪堀に接続していて、尾根を完全に断ち切る形になっています。
また、郭2の東端を堀切側に突出させることで、横矢掛けができる櫓台のような構造になっていて、大規模かつ技巧的な遺構であると言えます。
桝形虎口
虎口を突破した攻め手を四方から攻撃できる桝形になっています。
虎口両袖には石材が確認されており、石積を伴う堅牢な造りであったようです。
現在、この「桝形虎口」にて発掘調査を行っている関係により、登山道の一部が通行止めになっています。(令和6年5月31日まで)
詳細は下記リンクをご覧ください。
発掘調査による通行禁止箇所について
本郭北虎口
袖部に石積を伴う堅固な虎口となっています。
攻め手に方向転換を強いるクランクとその先を極端に狭くするという入念な造りで、徹底して攻め手の侵入を阻もうという意図が見て取れます。
土塁
各郭の周囲を囲うように土塁が配置されています。

アクセス

【公共交通機関をご利用の場合】
・東武東上線武蔵嵐山駅(西口)からときがわ町路線バス<十王堂前経由せせらぎバスセンター行き(と02系統)>に乗車
・「田黒」バス停下車、徒歩20分(1.4km)
※明覚駅経由せせらぎバスセンター行き(と01系統)は「田黒」バス停を通りません。

【自家用車の場合】
・国道254号線の嵐山渓谷入口交差点からときがわ町方面へ約2.5km→3つ目の信号を右折→直進1.4km

参考文献・サイト

書籍
小倉城跡パンフレット
サイト
国指定史跡 小倉城跡 - 埼玉県ときがわ町

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