明知城あけちじょう

~技巧に富んだ明知遠山氏の居城~

Shironav Master

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this castle

明知城は山頂の2つの曲輪と南側の通称「出丸」を中心として東西400m、南北300mの城山全域に遺構が広がる山城です。
石垣を用いない所謂「土の城」ですが、竪堀、堀切、横堀、切岸、土塁など技巧に富む遺構を随所で見ることができます。
源頼朝に仕え、美濃国遠山荘の地頭職を得た加藤景廉の孫にあたる遠山景重によって築かれ、その後明知遠山氏の居城になりました。
戦国期には遠山荘南部の要衝として重視され、大規模な山城として構築されます。織田家や武田家などの戦国大名の争奪戦の舞台となり記録に残るだけで4回の合戦が繰り広げられました。

【目次】
基本情報
縄張図・鳥観図
ポイント
アクセス
参考文献・サイト

基本情報

城名(別名)明知城(白鷹城)
築城主遠山景重
築城年宝治元年(1247)
カテゴリー江戸時代 安土桃山時代 山城 
関連項目明知遠山氏 畝状竪堀 横堀 竪堀 堀切 土の城 東美濃 
遺構横堀 竪堀(畝状竪堀群) 堀切 切岸 出丸 
住所(所在地)岐阜県恵那市明智町城山
指定文化財県指定史跡
構造物曲輪、土塁、堀切、竪堀、横堀、切岸、貯水池、模擬冠木門
問い合わせ先恵那市観光交流課
電話番号0573-26-2111

縄張図・鳥観図

現地案内板より
麓には陣屋があり、そこから登ることができます。
横堀や竪堀、堀切など土の城の遺構が各所に設けられています。

ポイント

主な遺構 :
横堀
竪堀(畝状竪堀群)
堀切
切岸
出丸
横堀
斜面に対して横方向(等高線と平行になるように)設けられた堀で、攻め手の人数を絞りつつ両側から攻撃することができます。
明知城にはこの横堀が徹底して配置されており、大きな特徴だなと思いました。
竪堀(畝状竪堀群)
山腹を登る攻め手の横移動を制限し、城兵の狙い撃ちを容易にする機能を持つのが竪堀で、等高線に対して直角に掘られているのが特徴です。
その竪堀を連続して並べたものが畝状竪堀群と呼ばれ、その由来は畑の畝のように見えるためです。
堀切
大手道を駆け上がってきた攻め手の行く手を阻む大堀切です。
両側には曲輪が配置されており、堀底には門が構えられていたと考えられています。
門で攻め手を足止めし両側の曲輪から城兵の攻撃を浴びせるような運用がなされていたと考えられています。
切岸
斜面を加工して造成した人工的な断崖で城壁の役割も果たしました。
明知城の切岸はかなり大規模なものでした。
出丸
南本城とも呼ばれる独立性の高い曲輪で、主郭の南に位置しています。
明知城には石垣がありませんが、この出丸の入り口には巨石(画像真ん中)が列を形成しています。この遺構は明知城でもここにしかありませんので、比較的新しく普請された可能性が指摘されています。
出丸の南奥には礎石と思われる石(画像右)が鎮座しています。直径24㎝ほどの円形の穴が空けられていて旗立石とも手水鉢ともいわれています。

アクセス

公共交通機関
明知鉄道明智駅から本丸まで徒歩35分

自家用車
中央自動車道 恵那ICから約30分
県道66号側入口付近に駐車場あり

参考文献・サイト

書籍
パンフレット::東美濃戦国史-山城を巡る攻防-
サイト
明知城跡-岐阜県公式ホームページ
白鷹城(明知城)-明智光秀ゆかりの地 恵那市
明知城跡-岐阜の旅ガイド

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