岩村城(いわむらじょう)
~圧倒する六段壁~
Parameters of
this castle
岩村城は恵那市岩村町の市街地東方約1.3km、標高721mの城山に築かれた山城です。江戸時代に本丸が諸藩の居城中で最も高い場所に位置していたことから備中松山城(天守の残る山城で最も標高が高い)、高取城(麓と本丸の標高差が最も大きい)と共に日本三大山城に数えられています。
鎌倉幕府の御家人、加藤景廉が遠山荘の地頭職に任じられ、その長男景朝が遠山氏(岩村遠山氏)を称して岩村城を築きました。
戦国時代には遠山景任という人物が岩村城主となっており、信濃を制圧し東美濃に迫った武田信玄と主従関係を結び人質を出していました。一方で美濃の斎藤氏を滅ぼして急速に台頭してきた織田氏にも接近し、織田信長の叔母を娶って縁戚関係を結んでいました。織田徳川と武田の関係が悪化して抗争が激しくなると境目の要衝として岩村城は争奪戦の対象となり、その中で「女城主おつやの方」の悲哀の物語も生まれました。
織田家による甲州征伐の際に当主信長は明智光秀らを伴って岩村城まで出陣し、戦況の確認などをしていたようで、武田氏滅亡の知らせもこの城で受けたとされています。
武田氏滅亡直後の本能寺の変で信長が斃れると、岩村城は混乱のさなかに信濃から撤退してきた森長可によって接収され、その後長可の弟忠政に引き継がれます。森氏は織田家の実質的な後継者となった羽柴秀吉に属しており、これに対して徳川家康の元に逃れていた明知遠山氏の遠山利景が岩村城奪還のため攻め寄せるなどして再び争奪戦が勃発します。
小牧・長久手の戦いの後に秀吉と家康が和睦したため岩村城は森忠政の支配権が確立し森氏家老、各務元正が城代として岩村の地を治めます。秀吉の死後に森忠政は信濃松代に移封となり岩村城には代って田丸直昌が入城します。直後に勃発した関ケ原の戦いにおいて大坂城番であった直昌は西軍に属したため戦後に改易されます。
田丸氏に代わって大給松平氏の家乗が岩村城主となり、後に岩村藩が成立します。その後、一時的に丹羽氏が藩主となった時期もありますが、再度大給松平氏が藩主となり幕末まで存続します。
明治6年(1873)の廃城令によって城は解体され石垣のみとなりましたが、麓に移されていた藩主の邸宅はのこされました。しかしこの藩主邸も明治14年に全焼してしまいます。
昭和47年(1972)には藩主邸の跡地に岩村歴史資料館が建設され、平成2年(1990)には同地に太鼓櫓、表御門、平重門など藩主邸にあった建物の一部が復元され現在に至ります。
日本城郭協会が選定する日本100名城にも指定されています。
基本情報
城名(別名) | 岩村城(霧ヶ城) |
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築城主 | 遠山景朝 |
築城年 | 鎌倉中期以降とされる |
カテゴリー | 鎌倉時代 室町時代 江戸時代 安土桃山時代 山城 |
関連項目 | おんな城主 おつやの方 秋山虎繁 織田信長 菱櫓 高石垣 日本三大山城 六段壁 日本100名城 武田勝頼 |
遺構 | 六段壁 本丸西面の高石垣 菱櫓 霧ヶ井 南曲輪 |
住所(所在地) | 岐阜県恵那市 岩村町城山 |
指定文化財 | 県指定史跡 |
構造物 | 石垣、曲輪、桝形虎口、堀切、竪堀、土橋 |
問い合わせ先 | 恵那市観光協会 |
電話番号 | 0573-25-4058 |
縄張図・鳥観図
現地案内板より
登り口や道中の案内はしっかりしているので迷うことはありませんが、資料館から主郭まではそこそこの距離のある坂を登ることになります。
ポイント
- 主な遺構 :
- 六段壁
- 本丸西面の高石垣
- 菱櫓
- 霧ヶ井
- 南曲輪
- 六段壁
- 本丸の北東面には雛壇に築かれた六段の見事な石垣です。
元々は段差のない高石垣でしたが、崩落を防ぐために格段に犬走りが設けられたようです。
- 本丸西面の高石垣
- こちらの石垣も非常に高く積まれており、出丸から眺めるとその高さに圧倒されます。
本丸へ繋がる側道には不明門(あかずのもん)が設置されていたため、こちらの方から上がってきた攻め手はこの高石垣を登ることでしか本丸に到達できません。
- 菱櫓
- 二の丸東側の石垣は、自然地形に沿って鈍角に積まれていました。
この石垣に合わせて平面を「く」の字状とした菱櫓が建てられていました。
- 霧ヶ井
- この井戸は城主専用の霊泉でした。
敵が攻めてきたときに、城内秘蔵の蛇骨を この井戸に投じると、たちまちに霧に被われて城を守ったと言われています。
この逸話から岩村城の別名は「霧ヶ 城」と呼ばれています。
- 南曲輪
- 本丸裏手(南側)には戦国時代のまま維持されていると考えられる曲輪があり、堀切や竪堀、土橋など石垣とは打って変わって岩村城の土の城の一端を見ることができます。
アクセス
公共交通機関
明知鉄道「岩村駅」 より徒歩で約60分
自家用車
中央自動車道「恵那IC」より、国道257号線で約20分。
岩村歴史資料館前に駐車場有(無料) 駐車場より本丸まで徒歩30分。
(国道257線から本丸へ車で可。但し、マイクロ等大型車通行不可)
参考文献・サイト
- 書籍
- パンフレット:東美濃の山城 パンフレット::東美濃戦国史-山城を巡る攻防-
- サイト
- 岩村城跡-岐阜県公式ホームページ
岩村城跡|え~な恵那【岐阜県恵那市観光サイト】
岩村城|女城主の里いわむら【公式】