花園城はなぞのじょう

~二重竪堀や岩盤掘削堀切を備えた堅城~

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江戸時代末期に編纂された「新編武蔵風土記考」によれば花園城は藤田氏15代が在城したと記されています。
城主の藤田氏は武蔵七党猪俣党の一族で、戦国時代後半には、関東管領上杉氏の重臣となっていたようです。
関東管領上杉氏の勢力が減退し、相模の後北条氏が勢力を伸ばしてくるとその傘下に入ります。そして天文24年(1555)に藤田泰邦が没すると後継者問題が立ち上がり、北条氏康はこの後継者問題に介入して自身の4男氏邦を入婿として藤田家に送り込み、藤田家は後北条氏に取り込まれます。
氏邦は花園城から鉢形城に移り、そこを拠点として上野方面への進出や甲斐武田氏、越後上杉氏の侵攻を防ぎました。しかし天正18年(1590)になると天下人豊臣秀吉による小田原征伐が始まり、鉢形城は落城、その際花園城も廃城になったようです。
花園城は上武山地が関東平野に接する丘陵上に縄張りされ、荒川が形成した扇状地形の先端部に位置しており、秩父方面への街道を押さえる要衝として機能していたと考えられています。

【目次】
基本情報
縄張図・鳥観図
ポイント
アクセス
参考文献・サイト

基本情報

城名(別名)花園城
築城主藤田政行と伝わる
築城年保元年間(1156~59)
カテゴリー鎌倉時代 室町時代 安土桃山時代 山城 
関連項目北条氏邦 北条氏康 後北条氏 横矢掛 
遺構堀切 竪堀 石積 虎口  
住所(所在地)埼玉県大里郡寄居町末野
指定文化財埼玉県選定重要遺跡 寄居町旧跡
構造物曲輪、土塁、堀切、竪堀、虎口
問い合わせ先鉢形城歴史館
電話番号048-586-0315

縄張図・鳥観図

現地配布の資料より引用
大規模な竪堀と岩盤をくり抜いた堀切をクランクさせながら連結しており、各曲輪間を断ち切っています。

ポイント

主な遺構 :
堀切
竪堀
石積
虎口
堀切
岩盤をくり抜いて掘られた堀切を何条も見ることができます。
最大幅15m、深さ6~8mほどの堀切です。
岩盤を掘った際に出た石はそのまま石積に使われたのでしょうか?
竪堀
城の中央部に近い竪堀は長大でかつ2重になっており、非常に特徴的です。
また、堀切と竪堀の連結部などに折れを多用し横矢掛を意識していると思われます。
登る際はこの竪堀の中を進むことになります。
石積
花園城の石積は高さ1mに満たないものが多用されており、こちらも特徴的です。
また、近年あきらかにされつつある北武蔵の石積み遺構との関連も注目されています。
虎口
攻め手の侵入を制限するための虎口は随所で配置されていて、防御意識の高さが伺えます。
また、虎口を石積で固めるという特徴的な面も見ることができます。

アクセス

公共交通機関
秩父鉄道・JR八高線・東武東上線寄居駅北口下車後、徒歩20分
自家用車
関越自動車道・花園ICから約15分
Googlemap上の【諏訪神社・花園城跡 案内板】に登山口があります。
専用駐車場はありませんので、路肩に駐車するとのことです。

保存会の方々によって登山口が整備されており、資料や御城印も配布されています。

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