小田城(おだじょう)
~常陸の不死鳥の居城~
Parameters of
this castle
小田城を拠点に常陸国南部に勢力を誇った小田氏は鎌倉時代に八田知家が源頼朝に常陸守護に任じられたことに端を発します。南北朝時代に小田氏は南朝方に味方し、その重臣である北畠親房を常陸に迎え入れます。その北畠親房が小田城で著名な『神皇正統記』を執筆しました。
戦国期には小田氏14代の政治が周辺勢力と戦い、勢力を拡大しました。その跡を継いだ小田氏治は、後北条氏、佐竹氏、上杉氏などの戦国時代に割拠した強豪を戦いを繰り広げますが、小田城は度々攻め込まれその度に落城の憂き目に遭います。それでも氏治は諦めず小田城の奪還を幾度となく成功させますが、最後は手這坂の合戦で佐竹氏に敗北、氏治は土浦に逃れました。
佐竹氏の支配下となった小田城ですが、その後佐竹氏の秋田転封に伴い、廃城となったようです。
1935年(昭和10)に国の史跡に指定された小田城跡は、平成に入ってからの発掘調査などを経て、本丸跡を歴史公園に復元した「小田城跡歴史ひろば」として2016年に開園しました。
基本情報
城名(別名) | 小田城 |
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築城主 | 八田知家 |
築城年 | 文治元年(1185) |
カテゴリー | 鎌倉時代 室町時代 安土桃山時代 平城 |
関連項目 | 北畠親房 神皇正統記 八田知家 常陸の愛猫家 常陸の不死鳥 小田氏治 鎌倉殿の13人 |
遺構 | 空堀 土塁 馬出曲輪 |
住所(所在地) | 茨城県つくば市小田2377 |
指定文化財 | 国指定史跡 |
構造物 | 曲輪、土塁、空堀、馬出し |
電話番号 | 029-883-1111 |
縄張図・鳥観図
現地案内板より
典型的な中世の平城である方形居館の様相を呈していますが、南西方向には角馬出を配置するなど、戦国期を経て技術的な進歩があったことを感じさせます。
ポイント
- 主な遺構 :
- 空堀
- 土塁
- 馬出曲輪
- 空堀
- 土塁
- 馬出曲輪
アクセス
交通機関
つくばエクスプレスつくば駅から「つくバス」小田シャトルで「小田東部」、「小田中部」下車。徒歩約5分。
JR常磐線土浦駅から関東鉄道バス「筑波山口行、下妻駅行」で「小田」下車。徒歩約10分。
参考文献・サイト