安田城やすだじょう

~戦国平城の姿を今に伝える~

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呉羽丘陵東南麓、井田川左岸の扇状地に立地する戦国時代の平城で、堀を含めた規模は東西約150m、南北約240mです。

本丸・二の丸・右郭みぎくるわの3つの郭からなり、井田川から水を引き入れた堀をめぐらせていました。また、本丸と二の丸では高さ約2.4mと推定される土塁どるいが確認されています。こうした城の構造は、江戸時代文化年間(1804年から1816年)に富山藩士安達淳直、直章によって描かれた「安田古城之図」と重なります。安田城跡のように保存状態がよく、全体像がわかる平城は多くありません。全国的にも貴重な事例として、昭和56年2月23日に国の史跡に指定されました。

安田城は天正13(1585)年、全国統一をめざす羽柴(豊臣)秀吉が越中の佐々成政を攻めた際、秀吉の本陣となった白鳥城の支城とされています。前田家の武将であった岡嶋一吉かずよしが城主となった後、代官の平野三郎佐衛門が居城しましたが、後に金沢に帰還し、廃城になったと伝えられています。
安田城跡-歴史の広場~より引用

【目次】
基本情報
縄張図・鳥観図
ポイント
アクセス
参考文献・サイト

基本情報

城名(別名)安田城
築城主前田利家か?
築城年天正13年(1585)
カテゴリー安土桃山時代 平城 
関連項目岡嶋一吉 佐々成政 前田利家 
遺構本丸 土塁 水堀 右郭 安田城跡資料館 
住所(所在地)富山県富山市婦中町安田244−1
指定文化財国指定史跡
構造物土塁、水堀、曲輪
問い合わせ先安田城跡資料館
電話番号0764694241

縄張図・鳥観図

現地案内板より
本丸・二の丸・右郭の3つの郭から構成されています。
現在ではこれらの遺構がほぼ全て忠実に復元されていて見ることができます。

ポイント

主な遺構 :
本丸
土塁
水堀
右郭
安田城跡資料館
本丸
本丸は南北約80m、東西約90mと、有事の際には多数の兵が駐屯し、篭城戦にも耐えられる広さがある。発掘調査では、建物の柱穴とみられる穴が確認されており、建物の礎石とみられる人頭大の石がまとまって入った柱穴もあった。
安田城跡 歴史の広場~より引用
土塁
本丸の土塁は、幅14m、高さが堀底から測ると4.4mと、二の丸の土塁の2倍以上の規模である。また法面は45度と急傾斜であり、土塁が高い壁となって敵の侵入を防いだ。城の中枢部である本丸を守る土塁の防御性の高さがうかがえる。
安田城跡 歴史の広場~より引用
本丸の土塁は非常に幅広で、櫓台などの建物も建てられそうです。
水堀
堀の本来の規模は、幅10mから20mで、深さは約2mと大人の身長よりも深く、敵が簡単には渡れないようになっていた。堀を掘削して出た土は土塁を築く盛土として利用され、城の防御性を高めるのに役立った。堀は沼のようになっていた可能性もある。
安田城跡 歴史の広場~より引用
右郭
右郭は再整備工事のため令和6(2023)年3月下旬頃まで立ち入り禁止となっています。本丸や二の丸には入れますが、右郭を通り抜けできませんので、資料館から出て向かって右方向に迂回路がありますので、そちらをご利用ください。
安田城跡資料館
安田城跡の出土品等の展示や、映像による史跡の解説のほか、企画展示や歴史講座、安田城をはじめとした中世城郭関係の資料配布等の普及事業を行っています。
「安田城跡みどころマップ」「富山市のお城マップ」の配布、「縄張り図でめぐる富山の城」コーナーでは佐伯哲也氏の縄張り図が配布(63城)を行っており、富山のお城巡り前にはぜひとも訪問したいところです。

アクセス

公共交通機関
JR婦中鵜坂駅から徒歩約25分
JR速星駅から車で約5分
JR富山駅、あいの風とやま鉄道富山駅から車で約20分
富山地鉄バス富山駅発富山大学付属病院行 安田下車5分
自家用車
北陸自動車道富山西I.Cから車で約10分
安田城跡資料館の横に無料駐車場あり

参考文献・サイト

サイト
安田城跡 歴史の広場
史跡安田城跡 - 富山市 - とやま観光ナビ
堀切もえの城跡探訪 安田城

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