南熊井城(みなみくまいじょう)
~空堀と土塁が見事に残る方形居館~
Parameters of
this castle
熊井は古くは熊野井と言い諏訪下社へ寄進されていたようであるが、下社が衰退するとこの地を巡り諏訪上社と府中小笠原氏が争ったという。
南熊井城については長野縣町村誌や東筑摩郡誌にも記述が無い。北東1kmにある北熊井城の出城という説もあるが果たしてそうあろうか?
守矢分書によれば、南北朝末期の嘉慶元年(1387)と推定される9月26日に「府中熊井原合戦、諏訪打負大死、小笠原打勝候」とある。
諏訪との領土境であった熊井付近に小笠原長基は 大小の城館や山城を築かせ在地土豪に守らせたらしく、北熊井城も南熊井城もそれぞれ独立した方形居館であった可能性が高いのではないだろうか。
(北熊井城はその後増築と拡張を繰り返し現在の姿になっている)
らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~ - 南熊井城 より引用
戦国期に入ると甲斐から信濃に攻め寄せた武田軍によって北熊井城が落城、同時期に武田軍の手に落ちたとみられます。
その後は武田軍の府中松本攻略の拠点として活用されたようです。
基本情報
城名(別名) | 南熊井城 |
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築城主 | 小笠原氏 |
築城年 | 不明 |
カテゴリー | 南北朝時代 丘城 安土桃山時代 平山城 |
関連項目 | 方形居館 小笠原氏 切岸 土塁 空堀 武田信玄 |
遺構 | 空堀 土塁 切岸 曲輪 |
住所(所在地) | 長野県塩尻市片丘 |
構造物 | 空堀、土塁、曲輪、切岸 |
ポイント
- 主な遺構 :
- 空堀
- 土塁
- 切岸
- 曲輪
- 空堀
- 真ん中の主郭の三方を囲うように空堀が配されています。
上巾12mもあるような見事な空堀です。
- 土塁
- 主郭からみて北側の堀切の前面に土塁が設けられています。
一部土塁が切れている部分もありました。虎口だったのでしょうか?
- 切岸
- 主郭から見て北側、および西側に大規模な切岸があります。
- 曲輪
- 主郭の曲輪は草木に覆われています。
北東の隅には祠があります、鬼門除けのためだったのでしょうか?
アクセス
中央自動車道 塩尻ICから約5分
駐車場はありませんが、近くの路肩に路駐が可能です。
参考文献・サイト