阿尾城あおじょう

~海に突き出した断崖に守られた鉄壁の城~

Shironav Master

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this castle

阿尾城跡は市街地北側の、海に面した丘陵上に築かれた戦国時代の城跡で、ここは越中と能登をつなぐ、海沿いや山越えの街道をおさえるとともに、海上の交通も把握できる重要なポイントでした。
阿尾城跡-きときとひみどっとこむホームページ
より引用

城主の菊池武勝は肥後の豪族菊池氏の末裔であるとされています。
武勝は当初上杉謙信に従いますが、その後織田家に臣従、佐々成政に属するようになります。
織田信長死後、秀吉から能登、加賀を与えられた前田利家と越中の佐々成政が対立するようになると、利家の誘いを受けて寝返り前田勢を入城させます。これを知った成政は阿尾城攻撃を決意し、守山城主の神保氏張を差し向けます。この時阿尾城に入っていた前田勢の中に、後に傾奇者として知られる前田利益(慶次)が居たと言われています。この阿尾城の戦いでは前田勢の援軍もあり、佐々勢は撃退されました。
その後菊池氏は阿尾城と1万石の知行を安堵されていましたが、1596年に当主が亡くなると阿尾城も廃城となり、その子孫は加賀藩士として前田家に仕え存続しました。

【目次】
基本情報
縄張図・鳥観図
ポイント
アクセス
参考文献・サイト

基本情報

城名(別名)阿尾城(氷見城、青城)
築城主菊池氏
築城年永禄年間(1558年~1570年)
カテゴリー丘城 安土桃山時代 海城 山城 
関連項目氷見市 越中国 佐々成政 前田慶次 前田利家 上杉謙信 
遺構曲輪 土塁 堀切 土橋状の遺構  
住所(所在地)富山県氷見市阿尾
指定文化財県史跡
構造物曲輪、土塁、堀切、神社、展望台、土橋
問い合わせ先氷見市観光交流課
電話番号0766744004

縄張図・鳥観図

現地案内板より
城跡には榊葉乎布神社や白峯神社が祀られ、公園化し展望台も設置されているため当時の地形からは大きく改変されたと思われます。

ポイント

主な遺構 :
曲輪
土塁
堀切
土橋状の遺構
曲輪
地形は大幅に改変されているので、遺構なのか後世の畑跡なのかわかりにくいですが、段郭のような地形やそれに付随する切岸が随所にみられます。
本丸展望台からは富山湾を眺めることができ、海上交通の監視は容易であったことが推察できます。
土塁
曲輪の各所にわずかながら残っているようです。
写真は榊葉乎布神社付近で撮影したものです。
堀切
発掘調査の結果発見されたそうです。
比較的改変の少ない伝本丸と伝二の丸の間にあります
土橋状の遺構
伝二の丸から伝本丸にかけて、非常に通路が狭くなっている部分があり、現地の案内板では土橋であると説明されていました。
土橋の左右は断崖になっていて、1人づつしか通れませんので、攻め手は二の丸まで制圧してもそこから本丸に攻めかかることが非常に難しかったと思われます。

アクセス

自家用車
能越自動車道氷見ICから約5分
無料駐車場あり

公共交通機関
JR氷見駅から徒歩約50分
※氷見駅からバスなどが利用できるかもしれません。

参考文献・サイト

サイト
阿尾城跡-きときとひみどっとこむホームページ
越中阿尾城跡-城郭放浪記
阿尾城-Wikipedia

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