夏目城なつめじょう

~家康の危機を救った夏目氏発祥の地~

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湯ノ入神社城、鶴牧城ともよばれる夏目城は長野市篠ノ井石川の丘陵に築城された山城です。
平安時代末期から鎌倉時代にかけて二柳国忠という人物が源頼朝に仕え、軍功を立てたことで信濃国の石川村に地頭職を得ました。国忠の次男である国平が本家(二ツ柳家)から分家し石川邑夏目平に移り夏目氏を称したと言われています。
国平の子孫が夏目城(鶴牧城)を築き居城としていましたが、故あって夏目平を去り、三河国へ移り松平氏に仕えたとされています。
松平氏、後の徳川氏に仕えた夏目氏から三方ヶ原合戦で家康の身代わりとなり戦死した夏目吉信(広次)を輩出します。
吉信の三男、信次が最終的に常陸国に530石を与えられ旗本となり夏目氏は存続してゆきます。
明治になってからは文豪夏目漱石を輩出したとされています。

【目次】
基本情報
縄張図・鳥観図
ポイント
アクセス
参考文献・サイト

基本情報

城名(別名)夏目城(湯ノ入神社城、鶴牧城)
築城主夏目氏
築城年鎌倉時代末期~室町時代初期
カテゴリー鎌倉時代 室町時代 山城 
関連項目切岸 土塁 夏目漱石 夏目広次 どうする家康 堀切 
遺構堀切 切岸 土塁 三の曲輪  
住所(所在地)長野県長野市篠ノ井石川
構造物曲輪、土塁、切岸、堀切

縄張図・鳥観図

湯入神社の社殿や祠があるのは南側で北側には三の曲輪があります。

ポイント

主な遺構 :
堀切
切岸
土塁
三の曲輪
堀切
主郭の北側(画像の左と真ん中)と二の郭(画像の右)の脇にある堀切を確認することができました。
南北朝の争乱以降は捨て置かれた可能性(らんまる攻城戦記様より引用)のため堀切としてはだいぶ浅くなっているなと感じました。
切岸
二の郭から見上げるほどの高さになる主郭は明らかに盛り土されたものだとわかる地形でした。
土塁
主郭の北側にはさらに盛り土がしてあり土塁になっていることが確認できました。
その裏側は堀切となっています。
三の曲輪
主要部から北方面へ少し歩いたところに三の郭があります。
三の郭への侵入を試みましたが、残念ながら藪に覆われており踏破することはできませんでした。
三の郭付近は開けており眺望も良いです

アクセス

公共交通機関
 川中島バス 下石川バス停 徒歩10分
 長野市営バス 大岡篠ノ井線 下石川バス停 徒歩10分

自家用車
 長野自動車道 更埴ICから約15分
 湯入神社の裏手に数台ほど駐車スペースがあります。
 訪問時は真蔵寺さんの駐車場をお借りしました。

参考文献・サイト

サイト
湯の入神社砦(長野市)-らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~
湯ノ入城跡:信濃路探訪
夏目城-古城盛衰記

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