牧之島城(まきのしまじょう)
~武田四天王が築いた甲州流の平山城~
Parameters of
this castle
牧之島城は、鎌倉時代に佐久の香坂氏(高坂)が移住し、牧場を経営して土豪となり築城した城。天文22年(1553)城主香坂弾正宗重は、村上義清に組して武田信玄に抗した。義清が越後に逃れると武田に属した。永禄4年(1561)5月、宗重は上杉方と内通しているとの嫌疑で、海津城で誅せられた。信玄はその家名の断絶するのを惜しみ、宗重の娘を海津守将春日弾正昌信に娶らせ、香坂の名跡を継がせた。そして、馬場美濃守信春(信房)を牧之島城の守将に任じた。同9年(1566)信玄の命により、信春(信房)は、従来の侍屋敷の辺りに新たに牧之島城を築いた。信春(信房)は天正3年(1575)、長篠の戦いで討死した。
~牧之島城跡 /【川中島の戦い】史跡ガイド~より引用
甲州流築城術の特徴を数多く持った平山城で、特に丸馬出しや三日月堀などは後の新府城や真田丸、松代城にも引き継がれています。
基本情報
城名(別名) | 牧之島城(牧城) |
---|---|
築城主 | 馬場信春(信房) |
築城年 | 永禄9年(1566)もしくは永禄4年(1561) |
カテゴリー | 室町時代 江戸時代 安土桃山時代 平山城 |
関連項目 | 武田四天王 千人桝形 丸馬出し 三日月堀 馬場信春 水堀 土塁 土の城 空堀 |
遺構 | 三日月堀 丸馬出し 千人枡形 空堀 土塁 |
住所(所在地) | 長野県長野市信州新町牧野島215 |
指定文化財 | 長野県指定史跡 |
構造物 | 曲輪、土塁、空堀、水堀、三日月堀、丸馬出 |
問い合わせ先 | (公財)ながの観光コンベンションビューロー |
電話番号 | 026-223-6050 |
縄張図・鳥観図
現地案内板より
駐車場が丸馬出しに設置されているので三日月堀とそれに合わせて湾曲した土塁にアクセスすることができます。
丸馬出しと桝形を接続する木橋は老朽化により現在は渡ることができませんので二の丸の方面へ迂回してください
ポイント
- 主な遺構 :
- 三日月堀
- 丸馬出し
- 千人枡形
- 空堀
- 土塁
- 三日月堀
- 遺構としての形もよく残っている三日月堀です。
この堀と背後の土塁に攻め手を殺到させ丸馬出しから部隊を繰り出して攻め手を側面から攻撃するという運用がなされていたと思われます。
- 丸馬出し
- 駐車場になっており、数台の車を駐車できます。
背後は深く大きな空堀となっており、この丸馬出しだけで独立した曲輪になっています。
- 千人枡形
- 丸馬出しと背後の空堀を突破した先に待ち構える枡形で背後の土塁に千人の兵を潜ませて、枡形に入り込んだ攻め手を撃滅するという運用が想定されていたようです。
さすがに千人を潜ませるのは無理があるかと思われますが、攻め手を枡形に誘い込んで四方から攻撃するという様式は後の近世城郭でも数多く見られます。
二の丸と本丸の間にも水堀と枡形の組み合わせが配されており、徹底して本丸への侵入を阻んでいます。
- 空堀
- 本丸の周囲には空堀が張り巡らされていて、特に南西側には天然の地形を利用した大空堀があります。
二の丸と本丸の間には水堀もあります。
- 土塁
- 牧ノ島城は石垣を用いない所謂土の城であり、主要な曲輪の周囲は土塁で囲われています。
お手入れも行き届いていてこちらの土塁も見ごたえがあります。
アクセス
自家用車
上信越自動車道 長野インターから約45分
公共交通機関
JR長野駅から2番のりばバス停「新町大原橋線」新町方面行き 乗車
(約50分、犀峡高校まで片道1,350円)
犀峡高校バス停から徒歩約5分
参考文献・サイト