高知城こうちじょう

~大火から再建された天守が美しい南海の名城~

Shironav Master

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関ヶ原の戦いの功績により徳川家康から土佐一国を拝領した山内一豊は、慶長6年(1601)大高坂山に新城の築城工事を始め、慶長8年(1603)に本丸と二ノ丸が完成、入城しました。

享保12年(1727)城下町の大火で追手門以外の城郭のほとんどを焼失しましたが、宝暦3年(1753)までに創建当時の姿のまま再建されました。

その後は、自然災害や明治維新による全国的な廃城の嵐、太平洋戦争など幾度となく襲った危機を乗り越え、「南海道随一の名城」と呼ばれる優美な姿をした建物を今に残しています。

平成15年には、築城400年、再建から250年を数え、本物の城の持つ偉容が訪れる人々を今日も歴史のロマンに誘っています。
高知城 公式ホームページ~より引用

天守とセットで残っている本丸御殿や天守に配された忍び返し、空堀を覆うように作られた詰門など高知城でしか見られない遺構も数多いので、そういったものを探すのも楽しいです。

【目次】
基本情報
縄張図・鳥観図
ポイント
アクセス
参考文献・サイト

基本情報

城名(別名)高知城(鷹城)
築城主山内一豊
築城年慶長6年(1601)
カテゴリー江戸時代 安土桃山時代 平山城 
関連項目長宗我部元親 山内康豊 横矢掛 重文七城 山内一豊 現存十二天守 
遺構天守&本丸御殿 石垣 詰門 忍び返し 横矢掛り 
住所(所在地)高知県高知市丸ノ内1丁目2−1
指定文化財重要文化財
構造物天守、城門、空堀、石垣、枡形虎口
問い合わせ先高知城管理事務所
電話番号088-824-5701

縄張図・鳥観図

現地案内板より
追手門からまっすぐ本丸を目指すと約8分、杉ノ段や梅ノ段を経由してゆっくり登ると20分ほどで天守と本丸御殿に到達できます。

ポイント

主な遺構 :
天守&本丸御殿
石垣
詰門
忍び返し
横矢掛り
天守&本丸御殿
現存十二天守のお城の中で天守と本丸御殿がセットで残っているのは高知城だけです。
本丸御殿には上段の間のすぐ横にある武者隠しや技巧に富んだ欄間を見ることができ、当時の武士たちの生活の一端や趣向を垣間見ることができます。
天守は典型的な望楼型天守で享保12年(1727)城下町の大火で天守や本丸御殿も焼失しましたが、その後の再建で創建当時のまま再建されたようです。
石垣
雨の多い土地柄を考慮して崩れにくく排水能力の高い野面積が主に採用されており、近江の技術集団・穴太衆(あのうしゅう)によって築かれました。
三の丸には戦国期の土佐の支配者である長宗我部元親の時代に築かれた石垣(山内家の高知城築城の際に土台として使われ埋没)を発掘したものが一部展示されていて一般公開されています。
詰門
二の丸と本丸の間の空堀を塞ぐように設けられた2階建ての城門で、三の丸から進出してきた攻め手はこの詰門の正面に誘われて、本丸、二の丸、詰門の三方から総攻撃を受けることになります。
1階部分は籠城用の塩を貯蔵する塩蔵、2階部分は平時の際に家老などが詰める間があります。
忍び返し
天守に取り付くことを妨害する鉄剣の忍び返しは、現存天守では高知城にのみ備え付けられています。
石落としとセットでとても破壊力のある見た目になっています。
横矢掛り
城内の各所でカギ状に曲がる石垣のことを指し、死角を無くしてどこからでも矢玉を攻め手に浴びせることができる仕掛けです。

アクセス

自家用車
高知自動車道を利用
高松~高知IC 約1時間40分
松山~高知IC 約1時間50分
徳島~高知IC 約2時間40分
岡山~高知IC 約2時間

公共交通機関
JR高知駅から
バス 約10分 「高知城前」下車
電車 約15分 はりまや橋乗換え後、「高知城前」下車
徒歩 約25分

高知龍馬空港から
空港連絡バス 約35分 はりまや橋~高知龍馬空港間
タクシー   約30分

参考文献・サイト

書籍
パンフレット:高知城
サイト
高知城 公式ホームページ
高知城-高知市公式ホームページ

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