湯村山城(ゆむらやまじょう)
~甲府防衛を担った山城と烽火台~
Parameters of
this castle
湯村東部に位置する湯村山(標高446m)は、緑が丘スポーツ公園北西から遊歩道を行くと、約30分で頂上にたどり着くことができます。
中世戦国期、躑躅(つつじ)ヶ崎に居館を移した武田信虎が、甲斐国府中の統治を強固なものとするため、大永3(1523)年、湯村山の山頂にも山城を築きました。
この「湯村山城」は、甲府盆地一帯を見渡すのに適した立地を活かして、監視や情報収集といった役割を担い、緊急時の迅速な情報伝達を行うための烽火(のろし)台も設置されていました。
湯村山城の遺構は、現在あずまやがある山頂部分を中心に、東西約65m、南北約130mの範囲で見ることができます。
主に、山頂南側の一の郭(くるわ)(壁や堀などで仕切られた城内の区画)と二の郭で構成されていて、これらの北側にある堀切を挟んで、三の郭が配されています。山頂部分では、土塁や石積み、かつて使用されていた井戸など、当時の面影を垣間見ることができます。
湯村山には、古墳も複数存在します。これらは礫(れき)を積み上げて造られていることから「積石(つみいし)塚」と呼ばれています。
湯村山にお城があった!?-甲府市HPより引用
基本情報
城名(別名) | 湯村山城(湯ノ嶋城) |
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築城主 | 武田信虎 |
築城年 | 大永3年(1523) |
カテゴリー | 安土桃山時代 山城 |
関連項目 | 武田信虎 武田信玄 武田勝頼 |
遺構 | 石積 烽火台(復元) 空堀 土塁 井戸跡 |
住所(所在地) | 山梨県甲府市湯村3丁目8−478−153 |
構造物 | 空堀、土塁、石積、烽火台(復元) |
問い合わせ先 | 甲府市長室情報発信課広報係 |
電話番号 | 055-237-5314 |
縄張図・鳥観図
現地の東屋にあるペーパーより引用
複数の曲輪を土塁などで区切っています。
ポイント
- 主な遺構 :
- 石積
- 烽火台(復元)
- 空堀
- 土塁
- 井戸跡
- 石積
- 空堀の内側に積まれた石積を見ることができます。
土留めのためだったのでしょうか?
- 烽火台(復元)
- 武田氏に限らず、山城に烽火台を設けて本拠地から遠い場所で起こった変事をすぐに知らせるネットワークが構築されるという例は多くあり、武田氏の場合は信濃北部から甲斐甲府まで烽火ネットワークが構築されており、当時としては異例の速さで情報が当主の元へもたらされたと言われています。
この烽火台は信玄公生誕500年を契機に建てられたようです。
- 空堀
- 曲輪を区画する空堀が数本確認でき、その空堀の中はごつごつとした岩石が落ちています。
- 土塁
- 曲輪と曲輪を区切るように土塁が配されています。
- 井戸跡
- 2つの曲輪の間に位置する井戸跡は少し窪んでいます。
アクセス
自家用車
中央自動車双葉スマートIC下車後、約15分
東麓の緑ヶ丘運動公園に無料駐車場あり
ただし運動公園でイベントなどがある場合は満車になることもあります。
公共交通機関
JR甲府駅からバスが出ているようです。
参考文献・サイト