塩崎城(しおざきじょう)
~数多くの段郭と主要部を守る石垣が素晴らしい~
Parameters of
this castle
塩崎城は、長谷寺の裏山にある山城です。千曲川両岸には千曲川に向かい張り出す幾筋もの尾根があり、その先端には多くの山城が分布しています。塩崎城もその中の一つであり、善光寺平の南の入り口に位置する重要な拠点でもありました。
応永7年(1400)、信濃守護職小笠原長秀と、村上満信を盟主とする国人一揆との間で行われた大塔合戦の中で小笠原長秀が籠城した城として塩崎城の名が見られます。その頃塩崎を領していた小笠原氏一族の赤沢氏でしたが、没落後塩崎城南の小坂城主桑原氏の名前が見られるようになり、それ以後桑原氏が塩崎氏として塩崎を治めました。戦国時代の天文22年(1533)武田氏による村上氏攻略戦の中で塩崎氏は千曲川対岸の屋代氏とともに村上方から武田方に寝返り、その後に始まる川中島の戦いの中で武田側の最前線の城として重要視されました。永禄7年(1564)第5回川中島の戦いでは、武田信玄の本陣が塩崎におかれました。現在確認できる遺構はこの時期に改修されたものと考えられています。文禄3年(1594)北信を支配していた上杉氏の資料の中に塩崎城の名前が確認できますが、上杉氏の会津移封以後見られなくなります。
昭和63年(1988)、送電用鉄塔建設に伴い塩崎城跡に隣接する地点の発掘調査が行われました。テラス状の平坦面が確認されましたが、塩崎城に関連した遺構は明確に確認できませんでした。
~長野市文化財データベース~より引用
東西25m、南北32mの主郭を中心に、尾根上に段々に築かれた郭、石垣、土塁などを見ることができます。
長谷寺から登山道が整備されています。
基本情報
城名(別名) | 塩崎城(五万長者城、白助城) |
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築城主 | 赤沢氏 |
築城年 | 不明 |
カテゴリー | 室町時代 安土桃山時代 山城 |
関連項目 | 村上満信 大塔合戦 小笠原長秀 上杉謙信 川中島の戦い 武田信玄 |
遺構 | 石垣 土塁 堀切 長谷寺 |
住所(所在地) | 長野県長野市篠ノ井塩崎 |
構造物 | 曲輪、石垣、土塁、堀切 |
問い合わせ先 | (公財)ながの観光コンベンションビューロー |
電話番号 | 026-223-6050 |
縄張図・鳥観図
現地案内板より
頂上の本曲輪を中心に複数の曲輪を構え、大手方面には10段の段曲輪が備えられており、典型的な小笠原流山城の縄張りと言えます。
反対側には長大な竪堀、本曲輪の左右には石垣があります。
ポイント
- 主な遺構 :
- 石垣
- 土塁
- 堀切
- 長谷寺
- 石垣
- 主郭を囲うように配された石垣は前面が特によく残っています。
主郭左右の石垣は崩落している部分もあります。
- 土塁
- 特に本郭背後の土塁は非常に高くなっています。
- 堀切
- 主郭の裏手には尾根筋を断つ二重の大堀切が存在し、竪堀と接続しています。
- 長谷寺
- 築300年という立派な観音堂があります。
参拝してから塩崎城を目指すと良いでしょう。
アクセス
上信越自動車、更埴ICから長谷寺駐車場まで約10分
長谷寺駐車場は20台駐車可能
長谷寺観音堂から塩崎城まで約30分
参考文献・サイト