屋代城やしろじょう

~数多の曲輪と堀切が本丸を守る~

Shironav Master

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    屋代城は東信濃と善光寺平に接する千曲川沿いの要地にあり、平地に突き出した一重山の尾根に南北に連なる郭と堀切を置き、川中島地方の南端に威容を誇っていました。
    城主の屋代氏は葛尾城の村上氏の支族でしたが、武田晴信が北信濃に侵攻するとこれに内通し村上氏の没落、引いては川中島の戦いの引き金になります。
    武田家が海津城や長沼城を築城し前線拠点とすると屋代城の戦略的価値は相対的に下がり、廃城となったようです。

    現在は千曲市の史跡に指定されており、整備によってハイキングコースのように気軽に訪れることができます。
    しなの鉄道屋代駅のすぐ裏山という立地もあり、訪問しやすい山城であると思います。

    【目次】
    基本情報
    縄張図・鳥観図
    ポイント
    アクセス
    参考文献・サイト

    基本情報

    城名(別名)屋代城(一重山城)
    築城主屋代氏
    築城年永正~天文年間と伝わる
    カテゴリー安土桃山時代 山城 
    遺構曲輪 土塁(武者隠しの土塁) 堀切 石垣  
    住所(所在地)長野県千曲市屋代1丁目 小島字東山
    指定文化財千曲市指定史跡
    構造物曲輪、土塁、石垣、堀切
    問い合わせ先ながの観光コンベンションビューロー
    電話番号026-223-6050

    縄張図・鳥観図

    図面の出典は余湖くんのホームページ様です。
    土砂採取の影響で本丸の背後と真ん中部分の遺構が消失していますが、そのほかの曲輪や堀切はよく残っています。

    ポイント

    主な遺構 :
    曲輪
    土塁(武者隠しの土塁)
    堀切
    石垣
    曲輪
    2の曲輪(画像1)と本丸(画像2)はそれ以外の曲輪と比べると広くなっています。
    また画像3のように各曲輪には番号が振られていてわかりやすいです。この案内によると本丸から北西方向に11もの曲輪があったようです。
    土塁(武者隠しの土塁)
    主要部(本丸と2の曲輪)前の最終防衛ラインとしてこちらの土塁が配置されていました。
    画像2のように土塁の背後は堀になっていて伏兵を隠すことができたと思われ、土塁をよじ登ろうとする敵や迂回しようとする敵に対処することを想定していたと考えられます。
    堀切
    少し埋もれていてわかりづらいですが、主に曲輪と曲輪の間に配置されています。
    石垣
    石垣は主要部(本丸と2の曲輪)の側面に配置されています。
    土留めのものといわれています。
    本丸側面(画像3)はかなり急斜面になっていますので確認の際は十分注意してください。

    アクセス

    公共交通機関

    しなの鉄道 屋代駅から北側登城口まで徒歩約15分

    自家用車

    上信越自動車道 更埴ICから北側登城口まで約5分
    無料駐車場あり(3台ほど)

    参考文献・サイト

    書籍
    中嶋豊,いざ!登る信濃の山城: 戦国の舞台イラスト案内図,信濃毎日新聞社, 2020
    サイト
    屋代城跡/【川中島の戦い】史跡ガイド
    余湖くんのホームページ
    信濃屋代城-城郭放浪記
    屋代城-Wikipedia

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