鷲尾城(わしおじょう)
~長きにわたる風雪に耐え現代に残る野面積み石垣~
Parameters of
this castle
鷲尾城は坂城を中心に北信濃を勢力圏としていた村上氏の庶流である倉科氏が居城としていたと言われていますが、築城時期など含めて詳細がよくわかっていない山城です。村上氏の当主である義清が武田晴信によって信濃を追われると倉科氏も安曇野へ逃れたと伝わり、変わって清野氏が鷲尾城を支配したと言われています。清野氏が信濃を去ると廃城になったと思われます。
詳細が不明な鷲尾城ですが、その本丸には高さ3mほどにもなる立派な野面積みの石垣があり、本丸の背後には2重と3重の堀切を構えるなど、その防御力はかなりのものであったと思われます。またその先にある長野県内でも屈指の大きさを誇る倉科将軍塚古墳を城域に内包しており、山城としての規模も大きいと言えます。
基本情報
城名(別名) | 鷲尾城 |
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築城主 | 倉科氏 |
築城年 | 不明 |
カテゴリー | 安土桃山時代 山城 |
関連項目 | 古墳 野面積み 石垣 |
遺構 | 石垣 土塁 堀切 倉科将軍塚古墳 大善寺跡 |
住所(所在地) | 長野県千曲市倉科 |
指定文化財 | 国の史跡(倉科将軍塚古墳) |
構造物 | 石垣、堀切、土塁、曲輪、古墳 |
縄張図・鳥観図
鳥観図の出典は余湖くんのホームページ様です。
この北信濃では場所によっては古墳が数多く作られているためそれを城域に取り込んだ山城が多い印象があります。
ポイント
- 主な遺構 :
- 石垣
- 土塁
- 堀切
- 倉科将軍塚古墳
- 大善寺跡
- 石垣
- 登り口からの登山道はなかなか急峻ですが、登った先でまず見ることができるのが本丸を囲う石垣群で、その素晴らしさは疲れも忘れさせます(個人の感想です)。
平石を多用した野面積みの石垣で、山城でここまで高いものは北信濃でも珍しい部類に入ります。
さすがに400年以上の時を経てその形を保持し続けるのは難しいのか、一部崩れている部分もありますのでご注意ください。
- 土塁
- 本丸を囲う一部が土塁になっています。
近くに石も散乱していることから、元々は土と石を使った壁だったのかもしれません。
- 堀切
- 本丸の背後にある連続堀切と、倉科将軍塚古墳の先にある堀切を見ることができます。
本丸背後の堀切は少々埋もれつつありますが、古墳の先にある堀切はかなりの深さを誇り見応えがありますので、訪問の際はこちらも見ることをおススメします。
- 倉科将軍塚古墳
- 全長78mの前方後円墳で5世紀前半の築造とされています。
付近にある他の前方後円墳と共に埴科古墳群と呼ばれ、それぞれ国の史跡に認定されています。
- 大善寺跡
- こちらは鷲尾城を登り口付近にあります。
城が廃城になった後に初代松代藩主真田信之の次女泰子姫(見樹院)が寛文13年(1673)に開基しましたが、その後大雨によって流失したようです。
大善寺の下には泰子姫が居住した屋敷跡の庭園や建立した大日堂が残っています。
アクセス
公共交通機関
しなの鉄道しなの鉄道線・屋代高校前駅から千曲市循環バスに乗り「石杭」バス停下車、徒歩5分
自家用車
長野自動車道・更埴ICから約10分、倉科の里広場に無料駐車場があります(3台ほど)
そこから徒歩数分で登山口です
↓倉科の里広場
下記の画像の看板が見えたら左へ
参考文献・サイト