鳥坂城とりさかじょう

~信越国境に築かれた土の城~

Shironav Master

    Parameters of
    this castle

    戦国時代、旧飯山街道(国道292号)の信越国境をおさえる重要な役割りを果たした山城と考えられています。高床山から北東へ伸びる尾根上に築かれ、別名鶏冠城(とさか)城とも呼ばれています。標高347メートルの位置にあった本丸の周囲には、数多くの曲輪、尾根上には連続した壮大な空掘が設けられています。
    城の設立や城主は明らかではありませんが、建仁二年(1201年)、越後領主城小太郎資盛が鳥坂山で鎌倉幕府と戦ったと伝えられています。また、鳥坂城と、平氏一族の城氏との関係ははっきりしていません。
    妙高市ホームページより引用
    堀切の大きさやその本数、曲輪の数からかなりの土木工事によって形成されたと思われます。おそらく戦国期に上杉氏によって信濃方面からの敵の侵入を防ぐため築城、もしくは大規模な改修を受けたものと考えられます。

    現在は付近のキャンプ場からアクセスすることが可能です。

    【目次】
    基本情報
    縄張図・鳥観図
    ポイント
    歴史的背景
    アクセス
    参考文献・サイト

    基本情報

    城名(別名)鳥坂城(高城、鶏冠城)
    築城主不明
    築城年不明
    カテゴリー鎌倉時代 安土桃山時代 山城 
    遺構堀切 土塁 畝状竪堀 曲輪  
    住所(所在地)新潟県妙高市姫川原
    指定文化財市の指定史跡
    構造物曲輪、堀切、土塁、竪堀、畝状竪堀、狼煙台跡、屋敷跡
    問い合わせ先妙高市
    電話番号0255-72-5111

    縄張図・鳥観図

    現地案内板より
    堀切と曲輪を多用した典型的な戦国期の土の城です。

    ポイント

    主な遺構 :
    堀切
    土塁
    畝状竪堀
    曲輪
    堀切
    特に圧巻なのは本丸を守る4連続堀切と、本丸を目前に現れる巨大な堀切(画像2,3枚目)です。
    土塁
    本丸や一段下がった二の丸の土塁が見やすいです。
    畝状竪堀
    写真にすると少しわかりづらいので線を入れてみました。
    畝状竪堀は堀と土塁が交互に隣り合っているもので、攻め手の進路を堀底に限定することで防御側の攻撃を当てやすくする効果があったと言われており、係争地域の境目の城によくみられる防御施設です。
    一部の山城好きはこれを見つけることに無上の喜びを見出します(笑)
    曲輪
    画像1は三の丸付近です。よく整備されており、曲輪の形やそれを囲う土塁がはっきり見て取れます。
    画像2は本丸の様子で、画像3は本丸からの眺望です高田方面を見渡すことができます。

    歴史的背景

    二つの鳥坂城

    冒頭でも紹介した建仁元年(1201)に城小太郎資盛が農民のために反乱を起こし、鎌倉幕府から派遣された佐々木盛綱と戦ったという逸話がありますが、これは同じ新潟県内でさらに北の胎内市にある鳥坂城(とっさかじょう)で起こった戦いではないかとも言われています。城氏の本拠地が胎内市の方であったことからも、こちらの鳥坂城が反乱軍の拠点となったとは考えにくいのかなと思います。

    アクセス

    自家用車
    上信越自動車道・中郷ICから15分
    高床山森林 公園キャンプ場を目的地に設定してください、キャンプ場にお城へ繋がる登山口があります。
    キャンプ場に無料駐車場あり

    駐車場から徒歩20分ほどで本丸に到達できます。

    参考文献・サイト

    サイト
    鳥坂城跡・猿橋城跡-妙高市
    越後鳥坂城(妙高市)-城郭放浪記
    鳥坂城(妙高市)-古城盛衰記
    畝状竪堀-Wikipedia

    この記事をシェアする