土岐明智城(ときあけちじょう)
~明智光秀の生誕地とも伝わる山城~
Parameters of
this castle
鎌倉時代初期に美濃国遠山荘を与えられた御家人の遠山景朝の次男遠山景重が淡氣郷(手向郷)を相続し明知遠山氏の始祖となりました。
景重は統治の拠点として明知城(白鷹城)を築き、その明知城の防御を固めるべく明智川・南北街道を挟んだ西南の台地に土岐明智城を築いたと言われています。
落合砦とも呼ばれたこの城は規模としてはそこまで大きいものではありませんでしたが、出丸からの眺望が非常によく、三河、美濃、信濃の各方面へにらみを利かせることができたため戦国時代には織田武田間で争奪戦になったものと思われます。
大河ドラマ『麒麟がくる』の主人公である明智光秀の生誕地候補の1つであり、山城サミットの開催地の山城でもあるため、案内板やのぼり旗の設置が進み、近年盛り上がりを見せている山城でもあります。
基本情報
城名(別名) | 土岐明智城(落合砦、多羅砦) |
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築城主 | 遠山景重とされる |
築城年 | 宝治元年(1247)とされる |
カテゴリー | 室町時代 安土桃山時代 山城 |
関連項目 | 麒麟がくる 明智光秀 眺望抜群 |
遺構 | 本丸 出丸 武者走り 光秀公産湯の井戸 冠木門(復元) |
住所(所在地) | 岐阜県恵那市明智町的場町958-1 |
構造物 | 曲輪、武者走り、虎口、井戸、冠木門(復元) |
問い合わせ先 | 恵那市観光交流課 |
電話番号 | 0573-26-2111 |
縄張図・鳥観図
現地案内板より
3つの独立した曲輪から構成された砦です。曲輪と曲輪の間に堀切などがあったのかもしれませんが、開発により元の地形は消失している部分が多いので詳細はわかりません。
ポイント
- 主な遺構 :
- 本丸
- 出丸
- 武者走り
- 光秀公産湯の井戸
- 冠木門(復元)
- 本丸
- なかなかの広さがある平坦地で、城の一番高所に位置することから本丸であると推定されています。
おそらく大河ドラマ『麒麟がくる』の際に設置されたと思われるのぼり旗がはためいており、雰囲気があります。
南側には虎口のような地形も見受けられますが、詳細は不明です。。
- 出丸
- 二の曲輪とも称されるこの出丸は、現在はパノラマ広場と呼ばれています。
公園化の整備によって遺構などは残っていませんが、眺望が非常によく、明知の市街地や付近の山城を見渡すことができます。
- 武者走り
- 武者走りとは城壁や城のまわりの土手の内側に設けた通路のことで、土岐明智城では比較的傾斜の緩やかな南側斜面に複数配置されています。
- 光秀公産湯の井戸
- 井戸があるのは三の曲輪で、生活の場であったと言われています。
享禄元年(1528)もしくは永正13年(1516)に明智光秀が土岐明智城で生誕し、この井戸の水を産湯に使ったという伝承があります。
しかし明智光秀の生誕地と伝わる場所は岐阜県可児市の明智長山城ともされており、断定はされていないようです。
- 冠木門(復元)
- 令和3年の「麒麟がくる ぎふ恵那 大河ドラマ館」閉館に伴い、屋外に設置していた冠木門が城の大手口に設置されたようです
アクセス
公共交通機関
明知鉄道明知駅から徒歩約20分
自家用車
中央道恵那ICから約40分
千畳敷公園に無料駐車場あり
参考文献・サイト