高島城(たかしまじょう)
~諏訪の人々に愛された浮城~
Parameters of
this castle
420年ほど前の1598(慶長3)年、豊臣秀吉の家臣「日根野織部正高吉」により築城され、諏訪氏の居城としてその威容と要害堅固を誇ってきました。
日根野織部正高吉が築城の適地とした高島は、当時諏訪湖畔に島状を呈していたと思われる場所で「浮島」とも呼ばれ、ここには主に漁業を営む村落があったことが記録に残っています。高吉はこの村をまるごと移転させて高島城を築いたといわれています。
完成当時は、城のまわりは湖水と湿地に囲まれ、あたかも諏訪湖中に浮かぶようであったので、別名「諏訪の浮城」と呼ばれました。
諏訪高島城-諏訪市公式ホームページより引用
関ケ原の戦いの後に日根野氏が転封となると諏訪大社大祝を司る家柄の諏訪頼水が2万7千石で入封し、高島藩として明治維新まで存続します。
維新後は廃藩置県によって高島県の県庁として使用されていた高島城ですが、明治8年(1875)に国からの命令で天守閣などの大部分の建物は破却、もしくは移築され跡地には石垣と堀のみという状態になり公園として一般開放されていました。
しかし諏訪の人々の熱意によって大正時代には天守閣復興運動が起こっており、戦後にその運動はさらなる盛り上がりを見せ、市民や諏訪出身者による寄付が集められました。これを受けて諏訪市は昭和45年(1970)に天守閣、角櫓、冠木門を復興しました。
現在でも諏訪市のシンボルとして市民に愛され2020年には復興50周年を迎え記念式典が開催されました。
天守閣のある高島公園は桜の名所になっており、続日本100名城にも選定されています。
基本情報
城名(別名) | 高島城(諏訪の浮城、島崎城、諏訪高島城) |
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築城主 | 日根野高吉 |
築城年 | 文禄元年(1592)~慶長3年(1598) |
カテゴリー | 江戸時代 安土桃山時代 水城 平城 |
遺構 | 天守閣(復元) 角櫓(復元) 石垣 水堀 冠木門(復元) |
住所(所在地) | 長野県諏訪市高島1丁目20−1 |
構造物 | 復元天守、復元角櫓、復元城門、石垣、水堀 |
問い合わせ先 | 諏訪市観光課 施設管理係 |
電話番号 | 0266-52-4141 |
縄張図・鳥観図
高島城リーフレット(日本語)より引用
現在残っているのは①の本丸部分のみで二の丸、三の丸は宅地化により消失しています。
ポイント
- 主な遺構 :
- 天守閣(復元)
- 角櫓(復元)
- 石垣
- 水堀
- 冠木門(復元)
- 天守閣(復元)
- 日根野高吉によって築かれた天守は独立式望楼型3重5階で明治初頭まで残っていましたが、明治8年(1875)に破却されました。
その後昭和45年(1970)に櫓や門などと共に復元されました。
現在の天守は窓の大きさや位置などの細部が異なり、屋根も柿葺ではなく銅板が葺かれているため、復興天守の扱いとなっているようです。
- 角櫓(復元)
- 天守閣が復興された際に同時に復元されました。
現在は茶室として開放されています。※新型コロナウイルス蔓延のため臨時休業の可能性あり
- 石垣
- 水堀
- 元々この堀は内堀でした。
- 冠木門(復元)
- こちらの門も天守閣復興の際に復元されました。
アクセス
公共交通機関
JR中央線 上諏訪駅諏訪湖口から徒歩約10分
自家用車
中央自動車道諏訪ICから約15分
無料駐車場あり(普通車14台)
参考文献・サイト