高田城たかだじょう

~天下普請で急造された土の城~

Shironav Master

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高田城址公園は、徳川家康の六男・松平忠輝公の居城として築城された高田城の跡に整備された公園で、全体が新潟県の史跡に指定されています。
現在の公園の地形は、旧陸軍第十三師団が入城する際、明治40年(1907年)に土塁の大半を崩して堀を埋める工事が行われたことによって出来たものとされています。
公園の面積は約50haあり、市街地の中心部に位置する公園としては、全国的にも有数の規模を誇っています。
園内には、復元された高田城三重櫓や歴史博物館、小林古径記念美術館、高田図書館、小川未明文学館(高田図書館内)などの文化施設、陸上競技場、野球場等のスポーツ施設、岩野勇三ブロンズコーナーやブロンズプロムナード、芝生広場や外堀をめぐる遊歩道などがあり、市民の散策や憩いの場となっています。
また、日本画の大家・小林古径の邸宅や、本丸と二の丸を結ぶ極楽橋も復元されています。

四季を通じてさまざまな表情を見せる高田城址公園。春には桜の名所としても有名です。
公園やその周辺を含めて約4,000本の桜が咲き誇り、三重櫓とともにボンボリの灯りに照らし出される美しさは、「日本三大夜桜」のひとつに数えられています。
桜の開花に合わせ、毎年「高田城址公園観桜会」が開催されます。(3月下旬~4月上旬)
また、夏にはお堀一面を埋め尽くす蓮を見ることができます。その規模と美しさから、「東洋一」と称されており、こちらも毎年「高田城址公園観蓮会」が開催されます。(7月中旬~8月下旬)
高田城址公園 | 【公式】上越観光Navi ~より引用

江戸時代初期に造られた平城としては珍しく、石垣が一切積まれておらず、土塁を中心とした土の城です。
旧陸軍第十三師団が入城する際に大半の土塁は喪われましたが、現代でも残された土塁を見ることができます。

【目次】
基本情報
縄張図・鳥観図
ポイント
歴史的背景
アクセス
参考文献・サイト

基本情報

城名(別名)高田城
築城主松平忠輝
築城年慶長19(1614)年
カテゴリー江戸時代 平城 
関連項目伊達政宗 松平忠輝 三重櫓 土塁 
遺構三重櫓(復元) 土塁    
住所(所在地)新潟県上越市本城町44-1
指定文化財新潟県指定史跡
構造物三重櫓(復元)、水堀、土塁
問い合わせ先都市整備課 公園管理係
電話番号025-526-5111

縄張図・鳥観図

ポイント

主な遺構 :
三重櫓(復元)
土塁
三重櫓(復元)
高田城三重櫓は、本丸南西隅の土塁上に構築され、当時は「後三階櫓」と呼ばれて天守閣にかわる城の象徴になっていましたが、廃城後、明治19年(1886年)頃取り壊されました。平成5年に復元されたこの三重櫓は、資料調査と発掘調査の成果を十分にふまえて再建されたものです。内容は三層三階で、東西5間(約9.1メートル)、南北6間(約10.9メートル)を基底とし、高さ15メートル程で外観は御殿風造りを基調としています。屋根は1層・3層が入母屋、2層が寄棟形式で、1層・3層に切妻屋根の出張りを付けています。1階・2階は展示室で、3階は展望室になっています。櫓の東側に付随して50メートル程の塀も同時に再建されました。
高田城址公園-上越市ホームページ~より引用
土塁
本丸跡で土塁を見ることができます。
かなりの規模で天下普請のすさまじさを感じることができます。

歴史的背景

慶長3年(1598年)春日山城主・上杉景勝が会津に転封となり、替わって越前北ノ庄(福井市)城主・堀秀治が入封しました。堀氏によって福島城が築城されましたが、同15年(1610年)に御家取り潰しとなり、松平忠輝が信濃国川中島から入封しました。忠輝は徳川家康の六男であり、徳川と豊臣の抗争が激化する中で、豊臣家の重臣・前田利常を牽制するため、交通の要衝である福島城に置かれたものと推定されています。
 忠輝は慶長19年(1614年)に天下普請(幕府の命による工事)として高田城築城に着手しました。普請には上杉景勝(出羽米沢城主)、前田利常(加賀金沢城主)など13の大名が任命され、総裁には忠輝の舅・伊達政宗が就任しました。
 築城された場所は、高田平野の中央よりやや西に寄った地点で、当時は菩提ヶ原と呼ばれていました。地形を見ると、自然堤防の周りに蛇行していた河川を利用して外堀を形成するなど、関川の自然堤防を巧みに利用していることがよく分かります。
 高田城の普請で特筆すべきことは、竣工までの期間の短さです。所説はありますが、慶長19年3月15日に着手し、7月上旬には一応の完成を見ています。外堀を含めると60ヘクタールを優に超える城郭が、約4か月で出来上がった背景には、大坂の陣を控えて、豊臣の重臣を牽制し江戸の背後を固めたものといわれています。
 平城の高田城には、二つの特徴があります。一つは天守閣が建築されなかったこと、二つ目は石垣が積まれず、全体に土塁をめぐらしていることです。その理由は、豊臣家との決戦を間近に控え、完成を急ぐ必要があったからだと考えられています。
 築城当初の櫓は二重の櫓でしたが、寛文地震のあと、三重の櫓に生まれ変わりました。また近代には二の丸・三の丸の土塁がすべて撤去されてしまいましたが、本丸の土塁は築城当時の威容を400年が経過する現代に伝えて、高田城の見どころの一つとなっています。
高田城三重櫓 ご利用案内-上越市ホームページ~より引用

アクセス

交通アクセス(電車)
北陸新幹線「上越妙高駅」から、えちごトキめき鉄道・妙高はねうまラインに乗換「高田駅」下車徒歩15分
交通アクセス(路線バス)
頸城バス「高田城址公園」下車徒歩1分
交通アクセス(車)
北陸自動車道「上越IC」から10分
上信越自動車道「上越高田IC」から10分
無料駐車場あり、850台

高田城三重櫓
開館時間
4月~11月:午前9時~午後5時
12月~3月:午前10時~午後4時
休館日
月曜日(月曜日が祝日のときは翌日)、祝日の翌日、12月29日~1月3日、1月・2月の月曜日~木曜日(祝日は開館)
 (注)観桜会・ゴールデンウィーク期間は無休。その他臨時休館することがあります。
入館料
一般 :310円
高校生:160円

参考文献・サイト

サイト
高田城三重櫓 ご利用案内-上越市ホームページ
高田城址公園 | 【公式】上越観光Navi

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