大垣城おおがきじょう

~水の都のシンボル~

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    大垣城は天文四年(一五三五)、宮川安定が築城した(明応九年竹腰尚綱の創建とも伝えられる)といわれ、大垣市内を流れる水門川の流れを外堀に利用して築城されました。天守は四層四階建て総塗りごめ様式で、大変優美な城です。

    慶長五年(一六〇〇)、関ヶ原の戦いでは、西軍を率いた石田三成の本拠地となり、その後、寛永十二年(一六三五)、摂津(兵庫県)尼ヶ崎より戸田氏鉄公が入城し、戸田十万石の居城となり、以後明治維新まで続きました。

    昭和十一年には国宝に指定されましたが、昭和二十年の戦火で惜しくも焼失してしまいました。その後、昭和三十四年に、外観を昔そのままの容姿で再建され、城下町大垣のシンボルとなっています。
    現地案内板より引用

    【目次】
    基本情報
    縄張図・鳥観図
    ポイント
    アクセス
    参考文献・サイト

    基本情報

    城名(別名)大垣城(巨鹿城、麋城)
    築城主宮川安定と伝わる
    築城年天文4年(1535)頃
    カテゴリー江戸時代 安土桃山時代 平城 
    遺構天守(復元) 内柳門(移築) 石垣   
    住所(所在地)岐阜県大垣市郭町2丁目52
    指定文化財大垣市指定史跡
    構造物天守(復元)、乾隅櫓(復元)、艮隅櫓(復元)、石垣、曲輪、内柳門
    問い合わせ先大垣城天守資料館
    電話番号0584-74-7875

    縄張図・鳥観図

    現地案内板より
    現在は本丸の周囲が宅地化を免れ残っています。
    大垣城にあった七つの門(七口之門)の跡は大垣市内に残っているようです。

    ポイント

    主な遺構 :
    天守(復元)
    内柳門(移築)
    石垣
    天守(復元)
    全国的にも珍しい4層の天守で廃城令を乗り越え、戦前には国宝に選定されますが、戦災により惜しくも焼失します。
    戦後の昭和34年(1959)に郡上八幡城を参考に鉄筋コンクリート構造で外観復元されました。
    平成22年(2010)には乾隅櫓と共に戦災前の状態に近づける改修工事が行われました。
    本丸を出たところには大垣の地を長く治めた大垣藩戸田家の初代、戸田氏鉄の騎馬像が鎮座しています。
    内柳門(移築)
    七つの門(七口之門)の一つに数えられる内柳門は天守復興の際に元あった場所から現在の東門の位置に移築され、見ることができます。
    石垣
    現在の天守の石垣は、ほとんどが再建時に修復、積み直しされ、一部焼失前の状態をとどめているのみです。石材は、多くが大垣城北側にそびえる赤坂金生山産の石灰岩で、フズリナ、シカマイア、ウミユリなどの化石も見られます。
    現地案内板より引用

    アクセス

    公共交通機関
    JR大垣駅南口から徒歩7分

    自家用車
    名神高速道路大垣インターチェンジから15分
    無料駐車場はありません、市営丸の内駐車場(有料。30分100円)などをご利用ください。

    参考文献・サイト

    サイト
    大垣城|大垣・西美濃観光ポータル「水都旅(すいとりっぷ)」
    大垣城 | 大垣市公式ホームページ/水の都おおがき
    城百科 | 大垣城

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