北庄城きたのしょうじょう

~瓶割り柴田が築いた9層天守~

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北の庄城址(きたのしょうじょうし)・柴田公園は、柴田勝家(1523?~1583)が築造した北庄城の一部が考古学的発掘により初めて検出された遺構の上にあります。徳川期に結城秀康(1574~1607)がその遺構を大胆に改変し福井城を造営していった様子も地層の切り合いの中で確認することができます。

その後、藩政時代はもとより、明治維新後から戦後・現代に至るまで、この場所は福井の都市的中心部として発達してきました。その意味で北の庄城址・柴田公園は、県都福井市の発生期を偲び、その後の発展の歴史的形成過程を物語るかけがえのない史跡であるといえます。

さらに幾度か被災しながらもその度に甦り、近年公園と隣接する地に、あたかもこれを護持するかのように柴田神社が再建整備され、勝家公およびお市の方が合祀されています。このことによって柴田神社は氏子のみならず、全国の勝家・お市の方ファンがお詣りに訪れる神社となっているのです。

北庄城は、これまで文献資料や伝承でのみ語られてきた城郭でありましたが、発掘調査によってはじめてその存在を確認しました。確認した堀は、大規模な城郭の一部でありますが、吉野川(のちの百間堀)と堀を東からの防御としていた城郭の構造であったとうかがえます。また、福井城の築城によって、破壊をうけてその全貌が失われてしまっていることがわかりました。
北の庄城・柴田公園のご案内|福井市ホームページ~より引用

柴田公園は平成19年に『日本の歴史公園100選』にも選ばれ、市民の憩いの場となっています。

【目次】
基本情報
縄張図・鳥観図
ポイント
アクセス
参考文献・サイト

基本情報

城名(別名)北庄城(北の庄城、北ノ庄城)
築城主柴田勝家
築城年天正3(1575)年
カテゴリー安土桃山時代 平城 
関連項目浅井三姉妹 お市の方 結城秀康 柴田勝家 石垣 
遺構石垣  柴田神社   
住所(所在地)福井県福井市中央1丁目21
構造物堀、石垣、柴田神社、柴田公園
問い合わせ先福井市役所 建設部 公園課
電話番号 0776-20-5460

縄張図・鳥観図

現地案内板より
柴田神社の鎮座している場所は北庄城の天守があった場所と考えられており、現在は神社のほかに石垣跡や堀跡、発掘調査の結果を展示した資料館があります。

ポイント

主な遺構 :
石垣
柴田神社
石垣
地表にわずかばかり出ている石ですが、北庄城の石垣遺構だと考えられています。
本来は高く積まれていたようですが、江戸時代の福井城築城に際して取り除かれ石垣の根石のみ残った状態であると考えられているようです。
発掘調査で確認された東西方向の幅が25m以上ある南北に延びる堀跡です。
福井城の下層であることやその規模から北庄城の時代の堀跡であると考えられています。
柴田神社
御祭神として柴田勝家を祭った神社です。天正11年(1583)に北庄城が落城した後、天守後に石祠が建てられ勝家の霊を祀り江戸時代の間守られてきました。明治6年(1873)にその祠が神社格に列せられ、氏子、崇敬者を有するようになりました。これが柴田神社の始まりのようです。
柴田神社では柴田勝家とその妻として運命を共にしたお市の方、お市娘である浅井三姉妹を祀っており絆を御神得とする「絆の宮」としても著名です。

アクセス

JR福井駅から徒歩7分
北の庄城址資料館
午前9時~午後5時(年中無休)
入場料:無料

参考文献・サイト

書籍
越前北庄城鎮守「絆の宮」柴田神社 由緒
サイト
北の庄城・柴田公園のご案内|福井市ホームページ

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