埴原城はいばらじょう

~数多の段郭が特徴的な小笠原氏城跡~

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昭和45年長野県史跡として認定された小笠原氏城跡群[山家城(やまべじょう)、桐原城(きりはらじょう)、埴原城]の一つです。埴原牧(はいばらまき)として馬の育成をしていた埴原氏が後に村井氏となり、村井城(むらいじょう)を築いたのですが、その詰城(つめじろ)として築かれたものだと推測されます。のちに小笠原氏の支配下となり、修築されていったと考えます。天文17年(1548)に塩尻峠(しおじりとうげ)の戦いに勝った武田晴信(たけだはるのぶ)が、村井城まで侵攻し、小笠原氏攻略のため、中山の和泉(いずみ)に陣を取ったという記述から、やはり、この時、埴原城も落ちたと考えるのが普通のような気がします。村井氏は塩尻峠の戦いで滅亡しますし、埴原城に敵兵がいながら和泉に陣を張るのは無謀です。ですから、天文19年(1550)の高白斉記(こうはくさいき)に書かれている「イヌイの城」は、戌亥(いぬい)という方角から考えても、犬甘城の方(イヌカイのカが抜けた記述と推測する考えからも)がふさわしいような気がします。
上條館長の山城案内 埴原城 | 旧山辺学校校舎~より引用
一時武田氏の支配下となりますが、武田氏滅亡後は小笠原貞慶が松本盆地を奪回して埴原城を改修し、現在見ることのできる城跡はこの時に形成されたと推定されています。

【目次】
基本情報
縄張図・鳥観図
ポイント
アクセス
参考文献・サイト

基本情報

城名(別名)埴原城
築城主埴原氏
築城年不明
カテゴリー安土桃山時代 山城 
関連項目段郭 武田晴信 小笠原貞慶 石垣 二重堀切 
遺構段郭 石積 土塁 堀切 化粧清水(井戸) 
住所(所在地)長野県松本市中山
指定文化財長野県指定史跡 「小笠原氏城跡」
構造物石垣、土塁、堀切、段郭、井戸、畝状竪堀群

縄張図・鳥観図

中山史跡めぐりマップー埴原城跡ーより引用
大小含めて数えきれないほどの曲輪が存在していることがうかがえます。
規模も大きく、松本市内では最も大きい山城とされています。

ポイント

主な遺構 :
段郭
石積
土塁
堀切
化粧清水(井戸)
段郭
写真では少しわかりにくいですが、斜面に沿って段郭がいくつも配置されているのがわかります。
1つ1つの大きさはそれほどではありませんが、数を多くすることで敵の登坂を幾度となく邪魔することが目的であったと思われます。
このように段郭を多用した山城というのは信濃小笠原氏特有のものであるとされ、同じ松本市内の林大城などでも見ることができます。
石積
主郭の三方を囲うように配置された石積で、場所によっては2段になっており、上段の石垣を下段より後退させることで安定して高くすることができるためこのようになっているようです。
土塁
主郭の東側には高さが4mほどの大土塁があり、火縄銃の攻撃も防げたと思われます。
土塁の上からは主郭や副郭を見渡すことができます。
堀切
2重堀切なども確認できました。
主要部を守るように配置されています。
化粧清水(井戸)
「お姫様の化粧水」と呼ばれる水場で1キロほど上流から水を引いていて、なんと現在でも水が湧き出ているようです。
溝を掘り石を敷き詰めて上に蓋をした当時の水道設備です。

アクセス

麓にある蓮華寺さんに登山者用の駐車場があります。
蓮華寺さんからは登山道への案内があるので、迷うことは無いと思います。主郭まで約30分
蓮華寺さんまでは
塩尻北ICから約15分
松本ICから約20分になります。

参考文献・サイト

書籍
中山史跡めぐりマップー埴原城跡ー
サイト
上條館長の山城案内 埴原城 | 旧山辺学校校舎
信濃 埴原城-城郭放浪記
埴原城-古城盛衰記

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