山家城(やまべじょう)
~標高1000m超の曲輪に残る石積み~
Parameters of
this castle
山城としての山家城は麓の徳雲寺が鎌倉時代に創建された時期と同じころに構築されたと伝わります。
この地域一帯を支配していた山家氏は諏訪氏の一族であるとされ(諏訪山家氏)、鎌倉時代から山家郷の地頭職を相伝していましたが、室町時代の文明12年(1480)に府中(現在の松本)を治めていた信濃守護小笠原氏に攻められ、滅びたか敗走したようです。
その後は小笠原氏と同族の折野薩摩守昌治(おりのさつまのかみまさはる)が播州姫路からこの地に来てこの地を治めました。彼は後に山家氏を名乗りました(折野山家氏)。しかし戦国期に入ると甲斐の武田氏が信濃に攻め込み、小笠原氏の居城である林城も攻め落とされてしまい、同時期に山家城も落城しました。
その後の山家城は武田氏の支配下となり、現在見られる連続堀切などを備えた堅固な山城として改修されたようです。
基本情報
城名(別名) | 山家城(中入城) |
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築城主 | 諏訪系山家氏 |
築城年 | 鎌倉時代と伝わる |
カテゴリー | 鎌倉時代 室町時代 安土桃山時代 山城 |
関連項目 | 連続堀切 諏訪氏 武田氏 小笠原氏 野面積み |
遺構 | 石垣 堀切 段郭 土塁 |
住所(所在地) | 長野県松本市入山辺 |
指定文化財 | 県指定史跡 |
構造物 | 堀切、竪堀、土塁、石垣 |
縄張図・鳥観図
図面の出典は余湖くんのホームページ様です。
事前のリサーチ不足で石垣のある曲輪(図では5となっている曲輪)とその背後の連続堀切を見て引き返してしまいました。。
次回は最奥部まで探索したいです。
ポイント
- 主な遺構 :
- 石垣
- 堀切
- 段郭
- 土塁
- 石垣
- 主郭とされる曲輪の外周を囲うように野面積みの石垣は配されており、特に東側は保存状態も良く、高さもあるため非常に見ごたえのある石垣となっています。
- 堀切
- 山家城には見事な堀切が数多く存在していますが、特に主郭とされる曲輪の背後に構える5連続堀切が素晴らしいと感じました。
どの堀切もそのまま谷底まで通じるような長い竪堀に連結していて土木量の多さを思い知らされます。
- 段郭
- 小笠原氏の居城である林城や埴原城でも見ることができる数多くの段郭が山家城にもありました。
小笠原氏の勢力下にあったことが伺えます。
- 土塁
- 主郭とされる曲輪の背後にある土塁です。
連続堀切の先にある曲輪にも土塁があるようですが、今回はリサーチ不足で見ることができませんでした。。
アクセス
長野自動車道梓川SA(下り)から徳運寺まで車で約30分
駐車場は徳運寺さんのものを借用させていただきました。
徳運寺さんの墓地を抜けると登山口があります。(登山口から約30分)
別の登山ルートも過去にはありましたが、雨氷災害により現在は寸断されているようです。
徳運寺ルートをお使いください。
参考文献・サイト