鳥取城(山下ノ丸)とっとりじょうさんげのまる

~他に類を見ない球面状の石垣~

Shironav Master

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鳥取城は、歴史的に著名な羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)の兵糧攻めの舞台になり、江戸時代には姫路城を築いた池田輝政(いけだてるまさ)の孫・光政(みつまさ)が、「国内12番目」の石高を誇る鳥取藩32万石の平山城として拡張整備しました。整備には、現存する姫路城大天守の築城に携わった職人たちが起用されたことから、「姫路城の弟城」とも呼ばれています。武家諸法度による幕府への配慮から、城内に高層な建造物がつくられることはありませんでしたが、藩主御殿がある二ノ丸には山陰地方初となる「層塔型」の三階櫓が建てられ、山頂の天守焼失後は代用天守として長く藩の象徴となり、城下の人々の誇りでもありました。
 光政の後、長く鳥取藩を治めた鳥取池田家は、藩祖光仲(みつなか)が徳川家康のひ孫であったことから幕府に厚遇された一方で、明治維新の立役者でもありました。特に12代慶徳(よしのり)は、薩摩や長州が技術供用を求めるほどの高性能な反射炉を現在の北栄町に建造したほか、戊辰戦争では薩摩、長州に次いで新政府軍として出兵し、官軍勝利を導きました。明治維新後の廃城令では、鳥取城は軍事的な必要性が認められ、多くの建物が存続しました。しかし、国内の治安が安定すると陸軍の撤退が決定し、これにともなって城内の象徴的な櫓群はすべて解体撤去されてしまいました。
国指定史跡「史跡鳥取城跡附太閤ヶ平」にようこそ! - 鳥取市~より引用
その歴史の長さから、中世から近世に至る多様な城の姿を残し、日本城郭の歴史を物語る「城郭の博物館」と呼ばれています。

【目次】
基本情報
縄張図・鳥観図
ポイント
アクセス
参考文献・サイト

基本情報

城名(別名)鳥取城(山下ノ丸)(久松城)
築城主池田光政
築城年元和3年(1617)
カテゴリー江戸時代 平山城 
関連項目登石垣 巻石垣 天球丸 仁風閣 鳥取藩 池田光政 三階櫓 日本100名城 
遺構天球丸の巻石垣(復元) 石垣 登石垣 中ノ御門渡櫓門(復元) 三階櫓跡 
住所(所在地)鳥取県鳥取市東町2丁目121
指定文化財国指定史跡
構造物御門跡、櫓跡、曲輪、石垣、巻石垣
問い合わせ先鳥取市教育委員会事務局文化財課
電話番号0855-30-8422

縄張図・鳥観図

現地案内板より
現在の鳥取城内には高校や県立博物館が建てられています。
巻石垣のある天球丸は中ノ御門から見て右奥にあります。

ポイント

主な遺構 :
天球丸の巻石垣(復元)
石垣
登石垣
中ノ御門渡櫓門(復元)
三階櫓跡
天球丸の巻石垣(復元)
文化4年(1807)頃に背後の石垣が崩れそうになり、それを防ぐために築かれました。角を持たない形から、巻石垣と言われ、川の護岸や港の突堤に関わりのある職人が築いたとされます。
こうした石垣が城に用いられる事例は、鳥取城以外に無く、貴重であることから絵図などを基に復元されました。
石垣
城の各所で見ることのできる石垣は元和5年(1619)頃から始まった池田光政の大改修によって積まれたものがほとんどです。
石は二ノ丸背後にある岩盤から切り出されました。
登石垣
嘉永2年(1849)に拡張された二ノ丸の北端に築かれた登石垣は幕末のものとしては国内唯一のものになります。
幕末のものなので完成度や保存状態が高いと思います。
中ノ御門渡櫓門(復元)
元和7年(1621)に城の正面玄関として整備されました。
門に繋がる橋は擬宝珠(ぎぼし)橋と呼ばれています。
現在、2020年代後半の完成を目指して復元工事が進められています。
三階櫓跡
元和3年(1617)からまもなくして建てられた三層三階の櫓で、元禄5年(1693)に山頂の天守が落雷で焼失した後は、この三階櫓が天守の役割を担います。
享保5年(1720)の大火で焼失しますが藩の権威を象徴する建物であるため間もなく再建され明治12年(1879)に解体撤去されるまでその威容を誇りました。

アクセス

自家用車
・鳥取自動車道「鳥取IC」から車で約15分
・JR鳥取駅から車で約10分
専用駐車場はありませんが、周辺の鳥取県庁駐車場、県庁北側緑地駐車場などを無料で利用できます。

公共交通機関
・JR鳥取駅から「100円循環バスくる梨」(緑コース)で約8分
・「仁風閣・県立博物館」または「市立武道館」下車すぐ
・<土日祝のみ>JR鳥取駅から「ループ麒麟獅子バス」で約9分
・「鳥取城跡」下車、徒歩約5分

参考文献・サイト

書籍
国指定史跡 日本百名城 鳥取城跡
サイト
国指定史跡「史跡鳥取城跡附太閤ヶ平」にようこそ! - 鳥取市
中世と近世の城郭が混在する「鳥取城」
とっとり城めぐり - 鳥取県観光連盟

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